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甲斐善光寺 [寺社・城・仏像・ミュージアム]

お戒壇めぐり



2019年にKと信州善光寺に参拝したが、今回は甲府善光寺。


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甲斐善光寺は室町時代に武田信玄によって創建された。


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甲斐善光寺は信州善光寺の本尊「善光寺如来」の長きにわたる数機な物語と深く関係している。

善光寺如来とは、天竺から百済に伝わった阿弥陀如来像で、百済の聖明王から欽明天皇に献呈された日本最古の仏像で、一つの光背の中央に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三尊が並ぶ「善光寺式阿弥陀三尊」と呼ばれる独特の様式。

欽明天皇は伝来したばかりの仏教の賛成派だった蘇我稲目に阿弥陀如来像を預けるが、仏教反対派の物部尾輿らが稲目の建てた寺を焼き払い、阿弥陀如来像は難波の堀江に捨てられたのを50年後に本田善光が発見して信濃に持ち帰り伽藍を造営して祀ったのが信州善光寺。

時は流れて戦国時代に武田信玄と上杉謙信との川中島の戦いが繰り広げられ、信州善光寺の焼失をおそれた信玄によって善光寺如来を甲斐国に移し甲斐善光寺を造営して祀った。

織田信長が武田氏を滅ぼすと、善光寺如来は時の権力者によって岐阜~尾張~遠江~甲斐と移され豊臣秀吉が京都の方広寺に移したが、病に倒れた秀吉の死の直前に善光寺如来が枕元に立ち「信濃に戻りたい」と告げたので、死の前日に信濃に戻された。

その後、「絶対秘仏というけど、本当は無仏なんじゃないか?」という風聞が広まったり、偽物が出現した事で、1692年に善光寺如来を検分させる使者が差し向けられ寸法を記録させていて、中尊は高さ45cmで重さ24Kg、脇侍は高さ30cmで重さ約0.6Kgと報告している。

現在の甲斐善光寺の本尊は、武田氏滅亡後に信濃善光寺の本尊を実見して造立した善光寺式阿弥陀三尊像で信濃善光寺の本尊が絶対秘仏なのに対し、甲斐善光寺の本尊は秘仏であるが平成9年からは7年毎に開帳が行われている。

信州善光寺が仏教のテーマパークみたいなイメージがあるので、それと比べると甲斐善光寺は縮小版に感じるが、本堂は東日本においては最大級とも言われる木造建築物で、天井に描かれた巨大な龍2頭は「日本一の鳴き龍」と呼ばれ、手をたたくと共鳴が起きる。

俺とKは「日本四方鳴竜」の妙見寺で発見した現象を試してみたが、妙見寺と同じで少し離れると共鳴は起きなかった。

宝物館が閉館になっていて凄く残念・・・。

甲斐善光寺は江戸時代に徳川氏の庇護を受けていたので、金堂の屋根に徳川の葵の家紋が付いている。


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信州善光寺は胎内めぐりと呼ぶ本堂の下の暗闇をを歩く「お戒壇めぐり」で有名だが、規模は小さいが甲斐善光寺にもある。

入ってみたが、距離は短いが中の暗さは同じで、全く光りの無い世界で「今まで生きてきて漆黒の闇だと思っていた暗さは、全然明るかった」と思い知らされ、目が見えることを有難く感じた。

信州から引きずって運んだ「引き摺りの鐘」。


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お守りを買った。


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久しぶりの参拝だったのだ。

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