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脳内フィルター [日々のあれこれ]


俺の持論に「脳内フィルター」というのがある。

職場などでのアルアルだと思うが、ある事について話しても、全く違う事に解釈してしまう奴がいる。

「1+1=2」なんだけど、そう解釈出来ない人が意外に多い。

わざと曲げて解釈する曲解野郎や歪曲馬鹿も凄く多いが、天然の誤解厨も多い…文章の読解力の言葉版みたいな症状。

発達障害とかアスペ一歩手前みたいな事なんだと思うが、そうなってくるとこちらが話している事の何%正確に伝わっているかを考えると恐ろしくなることがある。

また、人の話を最後まで聞かない奴もトンデモな答えを作り出す。

安倍総理の「責任は痛感しますが、責任をとるとは言ってない」という言葉を「責任を痛感する」までしか聞かなかったり、「スピード感を持ってやると言いましたが、今すぐやるとは言ってない」という言葉を「スピード感を持ってやる」で聴覚入力を切って真逆の答えを出してしまう奴も凄く多い。


それとは別に「フィルター野郎」という人種が存在する。

これは相手をするのは非常に厄介な存在で、悪意無く何事も普通にストレートに伝わらない…1+1の答えがフィルターを通過するとあり得ない数字になって出力されてしまう。

俺の経験ではフィルター野郎に解決法は無い。

こういう事を考え出すと、意識とは何だ?と思うようになる。

意識とは「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指すが、たとえば同じモノを見たとして、俺と脳内フィルター搭載人で同じ絵として関知しているのだろうか?

たとえば、江戸時代の日本人の船の認識は艪を手でこぐ船か、大きな船でも木造の帆掛け船だった。

そこにペリーの黒船がやってくると、目の前に黒船がいるのに見えなかった人が多かったそうだ。

つまり「黒船だ!」と言われて何処だ?と探しても、脳が船と認識しないモノは見えない人がいたらしい。

だから、俺も過去に何度か近距離でリアルにUFOを見ているが、その記憶も自分に認識できるモノに置き換えられているのかもしれない。

そうなってくると、我々が見ている世界は、個々人によって違って見えている可能性がある。

これは視覚だけで無く聴覚にも当てはまり、俺の作った曲なんかでも強調したい部分で無く、俺自身が気づかない様な些細な部分に関心を示す人がいたりして「え?そこですか?」と驚く事がある。

出来ることなら脳内フィルターさんが作り出す景色や音楽を体験してみたい。