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特別展「東福寺」 [寺社・城・仏像・ミュージアム]

東京国立博物館



久しぶりにトーハクの特別展に行った。

今回は京都を代表する禅寺「東福寺」。

奈良の巨大な寺というと、奈良公園に入った途端に遠近感が狂うというか、ガリバー旅行記みたいなモノの大きさの感覚が麻痺する興福寺と東大寺だと思う。

東大寺の「東」と興福寺の「福」を取って京都最大の大伽藍を造営した「東福寺」も巨大。

俺は基本的に仏像ファンなので、禅寺には余り興味がない・・・禅寺は観光客として見れる部分は門や庭、天井の龍とかふすま絵とかで仏像は少ない。

しかし、京都五山第4位の禅寺の寺宝の数々が、わざわざ上野まで来ているのに観に行かない理由はない。

大江戸線の上野御徒町駅から続く地下通路が外国人観光客が引っ張るキャリーバックのキャスターの音が反響しまくって凄かった。

轟音の地下通路から地上に出ると、本来ならロダンの彫刻などが出迎えてくれて「ゲイジュツに触れる」高揚感に包まれるんだろうけど、上野公園オヤクソクのホームレス達がアカデミックな雰囲気を分子レベルまで破壊していた。

上野公園のホームレスは、昨日や今日ホームレスを始めたニワカで無く筋金入りのベテラン連中なので、通路のど真ん中で仰向けに倒れていると行き倒れた本物の死体と見分けがつかない…お金持ちの中国人旅行客達が奇異な目で避けて通っていた。

しかし何故通行の邪魔になる通路のど真ん中なのか?何かのパフォーマンスなのか?他に目的があるのか?ってか、何故上野なのか?新宿都庁前で良いと思う。

初夏の日差しの中、久しぶりの上野公園を歩いたら暑かった。


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社会見学や修学旅行の学生さんの団体を掻き分けながらトーハクに到着すると、並ばずに自販機でチケットが買えたので「今日は空いているのか?」とルンルンで平成館に入ると、かなり混んでいた。


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客層は平日なので暇をもてあます後期高齢者が大半で、音声案内ヘッドフォンを付けているので爆音の独り言に気がつかない奴や、所かまわず婆さんにウンチクを聞かせる爺さん達の中を、お金持ちの中国人観光客がマナーを守って静かに鑑賞しているのが印象的だった。

展示は、かなりの量の書物や絵画が続いた・・・歴代の僧侶達の肖像画とか、デッカイ筆で書いた書とか、江戸時代の袈裟なんかも展示されていた。

禅宗が伝わった南宋時代の百科事典「太平御覧」は、中国では失われているが日本には残っていて、東福寺のものは南宋で印刷された完存本で国宝・・・当時の中国の印刷技術の凄さがよく判った。

絵も、大きな「白衣観音図」は凄かった・・・圧倒された!

五百羅漢図は、本物の隣に漫画形式の解説画が展示されていて楽しく判りやすかった・・・こういうのを増やして欲しい。

東福寺で有名な紅葉の眺めを楽しめる「通天橋」の写真撮影可の再現コーナーも良かった・・・劇混みの秋の京都に行かずに済んだというお得感があった。


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そして、最後の部屋に仏像が集まっていた。

仏殿本尊の釈迦如来は写真パネルだったけど、両脇侍「迦葉・阿難立像」が並んでいた・・・一般的に釈迦如来の脇侍は文殊・普賢や梵天・帝釈天だったりするけど、禅寺では釈迦の十大弟子になる。

この凄さなのに重文なの?と唸ってしまう巨大な分厚い二天王立像も良かった。

小降りの四天王も素晴らしくて、踏まれている邪鬼まで高級感溢れる玉眼なのが新鮮だった・・・多聞天像だけ時代が鎌倉前期の運慶風だったのも興味深かった。

そして、明治時代に消失した旧本尊の左手「仏手」は写真撮影も可能で胸熱だった・・・興福寺国宝館の山田寺の丈六薬師如来像の「仏頭」や、松尾寺の千手観音像トルソーではないが、これが見たかった!


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同じ撮影可能ゾーンにあった東福寺旧本尊の光背化仏の釈迦如来坐像・・・光背の化仏がこのデカさということは、旧本尊がどれだけ大きかったんだ?と驚いた。


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大満足で展示室を出て、フライヤーを数点引き抜いて物販コーナーで分厚い劇重の図録を買った。


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暑くて少し疲れたので、エスカレーターで1階に降りた右側にある自販機コーナーに行く。

缶コーヒーとアイス「ミルクあずきモナカ」を買った。


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椅子に座ってアイスを囓りながら、もし仏像仲間がいれば今ここでどんな会話をしているだろうか?と考えた・・・。


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「二天の阿吽、左右逆だったね」・・・「善光寺や東大寺の法華堂や南大門も逆だよね」とか、「維摩居士が単独で、近くに文殊いなかったね」・・・「普通ワンセットだよね」位しか話題が思いつかない。

応仁の乱の戦火を免れた貴重な文化財の数々を見て、流石京都の寺だと膝を打ったのだ。