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2022カピバラくんに会う旅02 [旅行記]

寝姿展望台の愛染明王




朝目覚めて、再び温泉に浸かって朝食。


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おかずが凄い数だったのでご飯を大盛りでおかわりして、超たらふく食べた。


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となりの席で食べていた夫婦の奥さんは、朝からこんなに沢山食べられないとボヤいていたが、俺は「高野豆腐とフキ」とか普段食べない懐かしいものばかりなのでガンガン食べた。


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大満足で黒船ホテルを出る・・・唯一ホテル前に停泊している黒船が修理で居なくなっていたのが残念だった。

了仙寺に行き、勾玉や腕輪や耳飾りなどの装身具や土師器、須恵器などの副葬品が出土した古墳時代の横穴遺跡を見た。


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「下田ロープウェイ」に乗って寝姿展望台に到着。

寝姿展望台からは下田の街がよく見え、下田港に停泊中の海上保安庁の船を上を見下ろした。


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展望台には黒船見張所など、我々が泊まった黒船ホテルもそうだけど至る所にペリーの足跡が残っていて、俺なんかはペリーの黒船って三浦半島の浦賀なんじゃないの?程度の知識しかないので、黒船まではレトロでカッコヨイけど、ペリーの名前を見る度に面白くなくなってきた。

高校が理数系進学クラスで幕末の歴史は滅茶苦茶疎いけど「こいつって日本を侵略しに来た奴じゃないの?」と、その後ハリスと交わされた日米修好通商条約というデタラメな不平等条約で日本の金が多量に海外に流出したのでは?とKに問いかけると、Kも同じ事を考えていたのか「金と銀の交換比率が世界的には1:15だったのに日本では1:5だった」と諳んじ、「そんなにペリーが好きなら、今度の新札ペリーにしろよ!」と言っていた。

展望台の頂上には「愛染明王堂」という法隆寺の夢殿の2/3に縮小した八角円堂があり、堂中には本尊の一面六臂の愛染明王が安置されていたが、全体的に何か不自然な感じだった。


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東京に戻ってから少し調べてみたところ、寝姿展望台の像は現在「五島美術館」に所蔵されている重要文化財の愛染明王の精巧なレプリカだった。


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本物の方の「五島美術館の愛染明王」は、江戸時代の地誌「新編鎌倉志」に「運慶作」と記されている鎌倉八幡宮愛染明王堂の本尊で、神仏分離令で八幡宮近隣の松源寺に入り、その後扇ヶ谷の寿福寺に移されたのを、本尊がなかった多摩あきる野市の普門寺がもらい受けて本尊として迎え入れた後に小泉策太郎に買い取られた。

像はその後所有権を巡って小泉と普門寺側が係争となったものの普門寺には戻らず、小泉の死後像を買い取った実業家の中村房次郎も手放し流転した後に、五島美術館を施工した清水建設が購入し東急グループの創始者である五島慶太へ贈られた。

寝姿展望台の解説板に寝姿展望台の愛染明王がレプリカであることが明記されていなかったが、俺は像の手前にあるお経上げの所にある仏具を見て、ここが本物のお寺関係で無いことを見破ったが、1974年に伊豆急行開通10周年の記念行事の一環として作られたものらしい。

何故夢殿に愛染明王を安置するのか?と、釈然としない疑問を抱えながら俺とKだけが乗る貸し切り状態のロープウェイで下山した。





我々は下田を出て、カピバラくんに会うため車を伊東方面に走らせたのだ。