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帆掛け船の思い出 [ノスタルジア]

小学校の夏休みの宿題



毎年この時期になると夏休みの宿題が話題になる。

登校日ギリギリまで放置していた山積みの宿題を、親も手伝わされて親子でフラフラになるらしい・・・カエルの子はカエルだからどうしようもない。

俺は夏休みの宿題は先にやれるモノは全て終わらせてから遊んでいたので、8月末の大騒ぎとは無縁だったけど、夏休みの課題で忘れられない思い出がある。

小学校高学年の夏休みの工作の課題で「船」を作った・・・ボートでは無く、俺的には江戸時代の「菱垣廻船」みたいな帆掛け船を作るイメージだった。

厚い板を側板に、薄い板を船底と甲板に切って箱みたいに組んだのに布の帆を付けて、船内にスクリューを回す乾電池とモーターを取り付けて自走する様にした。

スクリューとかの部品が無いので父の車に乗せて貰って、当時大和郡山市にあった模型屋で買った・・・これがその後、俺と父がのめり込むラジコン模型への切っ掛けとなった。

組み立ててラッカーを塗って仕上げて2学期に学校に持っていくと、担任の教師からクレームが来た。

「これ、お前が作ったのでは無いだろ!」と言われ、「持ち帰れ!」と命令された。

俺がその船を作っていた時は、俺の仲間達の間で野球がブームとなっていて、空き地で「三角ベース」なんかをやっていた・・・中学生の年長者が俺たちに順番にスライディングしろとか命じて、走って枯れ草の中に滑り込んだりしていた。

で、俺がガレージでコツコツ船を作っていると、毎日同級生の「きむやん」が野球に誘いに来てくれた。

きむやんが来る度に「今日はここまで作業が進んだよ」と説明していたので、教師からの濡れ衣を晴らす為にきむやんに「俺が作った証人」になってもらうと、教師は渋々認めた。

毎日懸命に作った船が、登校日寸前に親に手伝ってもらった「やっつけ仕事」の「段ボールのゴミ」より「劣る評価」だったのは言うまでもない。

そんな事より、もしあの時きむやんが毎日俺の家に来なければと思うとゾッとする・・・でも、当時の学校の教師のレベルなんてその程度の民度で、尊敬に値する教師なんて大学に進学するまで一度も出会わなかった。


時は流れ・・・父が亡くなった時に実家を整理していると膨大な写真が出てきたんだけど、その中に問題の「船」の写真が出てきたので廃棄せず東京に持ってきた。

俺は完成した船を海に浮かべようと、夏休みに家族で海水浴に行くときに持っていった。

日本海への避暑は、俺が物心つく前から毎年家族で行っていて、俺なんかは父の勤務する会社の系列で宿泊施設が一緒だった俳優の大村崑さんに可愛がってもらっていた。

当時のうちの車はトヨタ・マークⅡGSSという2リッター・SOLEXキャブレターDOHCエンジン搭載のスポーツカーで、スピード狂の父があり得ないスピードで日本海までぶっ飛ばしていた・・・今の時代であの運転をすると免許証が幾つあっても足りないというか、即逮捕されるだろう。

写真の左側に写っている人は母の一番下の妹で、俺と年齢が一番近い叔母で姉のような存在。


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当時の若狭はまだ海水浴客が少ない静かな避暑地って感じで、我々は若狭でも特に人の少ない所に行っていたので、まだ波とクラゲが出ない海水浴シーズンど真ん中の浜にいるのはうちの家族だけ。


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帆に風を受けて疾走する船と言いたいんだけど、実はモーターで進んでいる。


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島に上陸した俺と母。


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船を追う俺の背後は、母に泳ぎを習う妹。


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この船は単純な構造の「頑強な箱」なので、この後スクリューなどの部品を外して大きな取っ手を付けてラジコン模型の道具入れとなり、エンジン始動用のバッテリーや燃料缶などを入れて・・・長く使って役に立った。

夏休みと聞くと、今でもあの船を想い出すのだ。