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ちはやふる [ドラマ・映画・アニメ・漫画]

ラスト考察


最近ハマっている漫画は「ちはやふる」で、現行発売の最新刊である48巻まで読んだ。

「ちはやふる」は「競技かるた」の物語。

競技かるたは暗記力とスピードと正確さを要求される「格闘技」で、一瞬を競う短距離陸上のスタートや相撲の立ち会いに似ている。

「ちはやふる」の作者、末次由紀先生の凄いところは試合会場などの畳の形まで見逃さない徹底した取材力と、息をつかせないストーリー進行のテンポだと思う。

末次先生自身がかるた経験者という事もあり、リアルに描く深掘り情報は競技かるたの教則本的な側面も持ち合わせている程本格的だ。

また百人一首などの古典への造詣が深く、和歌への愛情溢れる解説はハイレベルで学術的。

登場人物達の感情表現が判りやすく、何事にも懸命に向き合っている主人公達の息吹が伝わってくる。

「高校クラブ活動系漫画」の主人公の大半が、最初から「選ばれし天才」が汗もかかずにスイスイ上達し次々と難敵をなぎ倒していくコンビニエンスな快進撃だけど、流石にそのままだと「そんな奴いるかよ!」と共感が得られないのか、必ずといって良いほど主人公は「背が低い」というハンデがある・・・バレー部の「ハイキュー」、バスケ部の「あひるの空」、テニス部の「テニスの王子様」、相撲部の「火ノ丸相撲」などの主人公に共通するのは「チビの大活躍」。

それに引き替え「ちはやふる」の主人公「綾瀬千早」は、天性の聴力を持ち「感じの良さ」を武器としているが、小学生から一年中カルタに取り憑かれている「かるた馬鹿」で、高校で競技かるた部を作ることから始まり、上級生になるとチームを率いて後輩を育て、自分の夢であるクイーンの座に青春の全てをなげうって挑戦する。

千早の、ひたむきで熱血ど根性な生き様が多くの感動や共感を生み、全国の高校で競技カルタ部が沢山出来ている。

登場人物の言動に謎が多いのも、読者を飽きさせず物語にグイグイ引き込む要因になっている・・・千早に立ちはだかるクイーンの若宮詩暢が典型的な「不思議ちゃん」で理解不能、千早も核心部分に迫られると白目をむいて寝落ちしたり、ハッ!と何かを思い出して相手無視で走り去ってしまう描写が定番になっていて「ストーリーの展開が読みにくい」のも魅力だと思う。

さて、「ちはやふる」は今年の夏に発売される49巻で15年の歴史に幕を下ろす。

1巻の冒頭のシーンが48巻で行われている名人位・クイーン位決定戦のラスト・・・千早が一番好きな札「ちはやぶる」の札を取ってクイーン若宮詩暢を下して新クイーンになった瞬間だと思う。

そこから千早の回想が始まり、小学生から高校最後の試合が終了して「回想シーン」は終わる事になる。

これまでの流れからすれば、綿谷新が新名人に、千早が新クイーンになって高校生活を終え、桜の花びらが舞い散る中でそれぞれが新しい世界に元気一杯の笑顔で踏み出していくまでが末次先生が残り4~5話で描ける限界だと思う。

他に考えられるラストは、最後に瑞沢高校競技かるた部全員で、一緒に部を設立した真島太一も含めて皆でかるたを取るか、更に未来に飛んで千早のクイーン獲得までの密着取材が全国ネットのテレビで放送されたことで新入部員が殺到し、瑞沢高校が千早の夢だった「かるた強豪校」になった所で終わるのか・・・俺は千早は恋愛よりカルタ部の仲間達の方を優先すると思うが、ラストで何を描くかで末次先生の最も描きたかったモノが判ると思う。

いずれにせよ、無駄にダラダラ長引かせるより勢いのあるうちに完結させる事で「ちはやふる」は名作になったと思う。

気になる千早と綿谷新の関係だけど、名人・クイーン戦での体力の限界を超えた死闘で4人全員が本性むき出しの「本当の姿」になっている。

クイーン若宮詩暢の2連取で1つも負けられなくなってしまったと錯乱した千早が、雪降る屋外で倒れていたのを新が抱き上げ「俺を負かした瑞沢高校キャプテンのかるたを取れ!」と鼓舞し、その後自分も息を吹き返した周防名人にタイブレークに追い込まれた時、無き祖父のかるたを捨てて、千早から渡された襷を掛けて「自分のかるた」を取っている・・・。

バランスを崩すと奈落の底という「不尽の髙嶺」で戦う極限の重圧と疲労の中で、同じ畳の上の2人が懸命に励ましあって生まれた絆を誰が断ち切れるのか?となると真島太一や若宮詩暢でも難しいと思う。

過酷な戦いが重なる毎に消耗していく千早が次の勝負に向かって進むのを、部員の仲間達が畏敬のまなざしで見送るシーンは、競技カルタが如何に精神と肉体に過酷な競技であるかを伝えている。

疲れ切った千早に対して腫れ物に触るようにしか接することが出来ない部員達の中で、控え室に千早の母親がいてくれて良かった!

いずれにせよクイーン争奪の戦いは、足がつった詩暢を自分の休憩時間を割いて千早が介抱した時点で勝負あったというか、4戦目の時点で千早の方がクイーンの貫禄でかるたをとっている。

千早の方が近江の神様がほほえんでくれるかるたを取っている。

そんな「ちはやふる」のテーマは「成長」だと思う・・・主人公の千早や部員だけで無く、クラブ顧問の宮内先生や部員の親達の成長まで1人1人の内面を丁寧に描いているのも素晴らしい。

俺は顧問の宮内先生の優しい言葉の数々が印象に残った・・・クイーン戦5戦目直前に過労で千早が倒れたときの、控え室での取り乱さない落ち着いた処置のシーンが良かった。

夢は「瑞沢高校競技かるた部を強豪にすること」という仲間や後輩思いの千早と、クラブ活動のかるたを「お友達同士のお遊び」と鼻で笑う個人主義の詩暢の対比も良かった・・・高慢で自己中な京女の嫌らしさが良く描けていてゾッとしたが、無私無欲で接する千早の慈愛に気を許すツンデレな詩暢も魅力的だった。

映画化もアニメ化もされた「ちはやふる」の人気爆発で、多くの高校で競技かるた部が作られ、近江神宮での全国高校かるた大会の会場が参加人数が多すぎてパンクするほど「競技かるた」の知名度を格段に上げた功績は、日本の伝統文化を後世に守り伝えるという意味で賞賛に値する。

「ちはやふる」は、一つのことにひたすら打ち込むことの素晴らしさを教えてくれた。

あと少しでこの凛とした気持ちの良い物語に幕が下りてしまうと思うと、感無量なのだ。