光の不思議 [宇宙]
思念の力
量子力学のお話。
300年前、アイザック・ニュートンは光は小さな粒子だと主張していた。
それを確かめるため1807年にトマス・ヤングが「2重スリット実験」を行った。
実験は光源と2つの切れ込みが入った板とスクリーンで構成されていて、切れ込みを通過した光がスクリーンにどう映るかを観察した。
ニュートンの言う「光が単純な粒子」であれば、光源の光は2つの切れ込みを通過して2本の直線がスクリーンに現れるはず。
しかし、スクリーンに照らされた電球の光は2本の直線の形では無く、濃淡のある縞模様だった。
この形は水の波の重ね合わせによって形成される縞模様と同じだった事から、光は波であることが証明された。
そして、その100年後アインシュタインなどが「光は粒子であると同時に波でもある」と補足し、現在も変わらない。
光の正体は光子という小さな粒子で、1909年に光源の出力量を調整して「光子を1粒ずつ放つ」事が可能になった。
そこで光子を1粒ずつ放つ事で「波の干渉を起きなくさせた状態」で再び「2重スリット実験」を行ったところ、不思議なことにスクリーンには波の重ね合わせの縞模様が現れた。
一体何処で波が出来たのか?
この時は、スリットの板に当たった光子が2つに別れ、それぞれの光子が同時に切れ込みを通過して波を作ったのでは?と考えるしか無かったが、スッキリしなかった。
その実験から70年後に光子の動きを観察出来るカメラが開発され、一粒ごとに光子を発射できる光源と2つの切れ込みが入った板の「間」にカメラを設置して観察した。
スクリーンには重ね合わせの縞模様が現れていたが、観察カメラのスイッチを入れた途端にスクリーンの縞模様が消えて2本の直線が現れた・・・このときカメラは「1粒の光子が1つの切れ込みに入っている」事を観察している。
そしてカメラのスイッチを切るとスクリーンは再び重ね合わせの縞模様になった。
つまり、光子はカメラに観察されていないときは波動性を示し、カメラが作動して自分が観察されていると判ると一粒の粒子となった。
ダーツで放った矢が的に刺さるとき、手から放たれた矢は人間にみられている事とは関係がなく的に刺さるが、今回の2重スリット実験の結果は人間が観察するかどうかで結果が変わる事になった。
で、問題はここから。
更に時は流れ、ジョン・ホイーラーが観察カメラの位置をこれまでの「光源とスリット板の間」から「スリット板とスクリーンの間」に変更した。
この実験でもスクリーンには縞模様が現れていたが、カメラを作動させると2本の直線になり、カメラのスイッチを切ると再び縞模様に変わるという結果が出た。
この実験での「光源とスリットの板」の設置場所を地球から1光年離れた場所に移動させて実験を開始したとすると、1年前に地球に向けて縞模様の波動を放ったという「歴史」が、地球に到達する寸前にカメラを作動させることで2本の線に変えると・・・「未来で過去の歴史を変えた」事になる。
そしてこれは、我々の「カメラのスイッチを入れるか入れないか」という意識が物理現象や自然現象に影響を与えているという事になる。
この量子というミクロな世界で起きている不思議な現象を、我々がマクロの世界で使える時こそ人類が次の進化に移行するときかもしれない。
これから先の未来はハードウエアの進化では無く、我々の潜在能力の進化なのかもしれないのだ。
量子力学のお話。
300年前、アイザック・ニュートンは光は小さな粒子だと主張していた。
それを確かめるため1807年にトマス・ヤングが「2重スリット実験」を行った。
実験は光源と2つの切れ込みが入った板とスクリーンで構成されていて、切れ込みを通過した光がスクリーンにどう映るかを観察した。
ニュートンの言う「光が単純な粒子」であれば、光源の光は2つの切れ込みを通過して2本の直線がスクリーンに現れるはず。
しかし、スクリーンに照らされた電球の光は2本の直線の形では無く、濃淡のある縞模様だった。
この形は水の波の重ね合わせによって形成される縞模様と同じだった事から、光は波であることが証明された。
そして、その100年後アインシュタインなどが「光は粒子であると同時に波でもある」と補足し、現在も変わらない。
光の正体は光子という小さな粒子で、1909年に光源の出力量を調整して「光子を1粒ずつ放つ」事が可能になった。
そこで光子を1粒ずつ放つ事で「波の干渉を起きなくさせた状態」で再び「2重スリット実験」を行ったところ、不思議なことにスクリーンには波の重ね合わせの縞模様が現れた。
一体何処で波が出来たのか?
この時は、スリットの板に当たった光子が2つに別れ、それぞれの光子が同時に切れ込みを通過して波を作ったのでは?と考えるしか無かったが、スッキリしなかった。
その実験から70年後に光子の動きを観察出来るカメラが開発され、一粒ごとに光子を発射できる光源と2つの切れ込みが入った板の「間」にカメラを設置して観察した。
スクリーンには重ね合わせの縞模様が現れていたが、観察カメラのスイッチを入れた途端にスクリーンの縞模様が消えて2本の直線が現れた・・・このときカメラは「1粒の光子が1つの切れ込みに入っている」事を観察している。
そしてカメラのスイッチを切るとスクリーンは再び重ね合わせの縞模様になった。
つまり、光子はカメラに観察されていないときは波動性を示し、カメラが作動して自分が観察されていると判ると一粒の粒子となった。
ダーツで放った矢が的に刺さるとき、手から放たれた矢は人間にみられている事とは関係がなく的に刺さるが、今回の2重スリット実験の結果は人間が観察するかどうかで結果が変わる事になった。
で、問題はここから。
更に時は流れ、ジョン・ホイーラーが観察カメラの位置をこれまでの「光源とスリット板の間」から「スリット板とスクリーンの間」に変更した。
この実験でもスクリーンには縞模様が現れていたが、カメラを作動させると2本の直線になり、カメラのスイッチを切ると再び縞模様に変わるという結果が出た。
この実験での「光源とスリットの板」の設置場所を地球から1光年離れた場所に移動させて実験を開始したとすると、1年前に地球に向けて縞模様の波動を放ったという「歴史」が、地球に到達する寸前にカメラを作動させることで2本の線に変えると・・・「未来で過去の歴史を変えた」事になる。
そしてこれは、我々の「カメラのスイッチを入れるか入れないか」という意識が物理現象や自然現象に影響を与えているという事になる。
この量子というミクロな世界で起きている不思議な現象を、我々がマクロの世界で使える時こそ人類が次の進化に移行するときかもしれない。
これから先の未来はハードウエアの進化では無く、我々の潜在能力の進化なのかもしれないのだ。
2022-02-04 23:03