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ワインディングロードの思い出 [日々のあれこれ]

オフロードバイクの強さ




バイク系ユーチューバーさんの仲間とのツーリング動画を見て色々思い出した。

関東の何処か見知らぬ山道を走っていたが、皆大排気量の高級ロードマシンなんだけど、道案内で先頭を走るバイクはオフロードタイプだった。

山道が険しくなるにつれ、ご立派な高級バイク達がプラモデルみたいに軽そうなオフロードについて行けなくなる。

今時のバイクツーリングは、仲間達と無線で会話出来るのでコーナーで膨らみ気味な後続の豪華バイク集団は対向車が来ると教えあっていた。

今時のツーリングは便利な道具があって楽しそう・・・。

俺が学生の頃、数え切れないほど色んなバイクに乗ったけど、最も気に入ったのがYAMAHAのXJ-400の初期型。

発売される前から予約して買った。

一番最初のモデルは不良箇所が出るのはオヤクソクで、XJも燃料タンクのキャップからのガソリン漏れがリコールの対象で無料交換だった。

XJは乗りやすいのと、マイルドな割に排気音が勇ましいのも気に入って、俺が最も多くの距離を走ったバイク。


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俺の父はバイク乗りだった・・・また今度詳しく書くけど、俺が生まれる前からのライダーだった。


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当時の俺は父とも走っていて、地元ではちょっと知られた親子ライダーで、父親が所属するお金持ちの中年ライダー達が集う某走り屋チームに俺も所属していた。

かなり有名なチームで、Harley-DavidsonやBMWと、逆輸入の大排気量日本車が中心で、400ccのバイクは少数派だった。

しかしチームの会長さんは大きなバイクも持っているんだけど、何故かツーリングになるとCB250RSという単気筒なんだけどマフラーが2本出ている小さなバイクに乗ってきていた・・・年配の方だったので軽くて楽だったんだと思う。

特別な場合は事前に出席者を募って宿をおさえて1泊とかで遠出するんだけど、何も連絡がない時は日曜の朝に、今は無き某レストランの巨大駐車場に集まってタバコを吸いながら行き先を決めるって感じだった。

会長さんがRSで先頭を走って目的地が近づくと手を上げて合図すると、そこから目的地までレースになる。

皆エンジン全開で、あり得ない速度差で会長さんを抜き去るんだけど、高速道路では大排気量バイクの圧勝だけど、道の細い山道では400もなんとか先頭手段について行けた。

ある時、今はどういう道になっているか知らないんだけど、今から40年近く前、目的地は琵琶湖の石山寺だったと思うが、そこからの帰りに・・・確か「宇治川ライン」という名前だったと思うが、そこそこのワインディングロードがあって会長が手を上げた。

俺は会長の真後ろからギアを2つ程下げて手が上がるのを待っていると、真横に見慣れない2ストのオフロードのバイクが併走してきた。

レースが始まると、俺はチームで最速の750ccに乗るNさんの後ろに張り付いて先頭集団にいたんだけど、道幅が狭いのとコーナーがきつすぎて重い750では厳しい感じだった。

するとオフロードが俺たちに割り込んできて、ただでさえ狭い道路が更に狭くなった。

Nさんが前を走る車を、対向車が来ているのに抜いて俺もその後に続いた。

前の車と対向車の間をすり抜けるって感じで、あれは対向車のドライバーも怖かったと思う。

とにかく初顔のオフロード野郎に好き勝手に走られるのが嫌なので、かなりリスキーな走りで振り切った。

待ち合わせ場所の天ヶ瀬ダムには俺とNさんがトップでゴールしたが、その時狭い山道はオフ車が最強だと思った。

学生時代のツーリング仲間のKさんはホンダXL-125というオフロードバイクで、一緒に吉野~熊野の秘境に出かけたけど、険しい山道になると後ろを付いていくのがやっとだった・・・きついコーナーが続く道だとエンジンパワーで無く軽いバイクが適していた。


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俺たちが走りに行った当時の169号線なんて台風の後は道路が崩れて河原に迂回路が出来るのが当たり前という険しさだった。

道幅の無いグネグネコーナーが延々続くのを、KさんのXLはスイスイ抜けていくんだけど、400ではタフだった・・・見通しの悪いコーナーから突然道幅ギリギリのダンプが飛び出てきたりするので身体より神経が疲れた。

XJで一番大変だった道は、熊野本宮大社から南紀白浜に抜ける311号線で、薄暗い大雨の中をXLの後に付いて走ったが、車同士だとすれ違えない程の道幅で、山の木々で見通しの効かないカーブの連続に加え、どういうわけかコーナーでバイクを最も倒す位置に必ずマンホールの蓋がある厄介な道で、無事白浜に抜けて心底ほっとしたのを覚えている。

その後、俺の実家が南紀白浜に引っ越したとき、あの311号線をもう一度見てみたくなった。

父親のでっかい車だと厳しいと思って母親の車を借りて白浜から熊野本宮に向かって走ってみると、スッカリ道路が綺麗に整備されていて昔の面影は微塵もなかったのに驚き、つまらないので安珍と清姫物語のヒロイン清姫の生誕地である中辺路辺のトンネル辺りで引き返した。

話ついでに書くと、中辺路辺りまで出かけたなら「一願寺」がお勧めで、是非立ち寄ると良いと思う。

お酒と唐辛子をお供えしてお願い事をすると一つの願いが必ず叶う・・・俺なんかも叶った気がする。

その頃父親から聞いた話では、中辺路から本宮を抜けて新宮方面にバイパス道路を建設中で、それが出来ると42号線で串本を経由しなくても良くなる・・・みたいな事を聞いた気がするが、大変な思いをした険しい道が減っていくのは寂しい気もした。

最近はスピード違反も厳しいし、日本の狭い山道では軽いオフロードバイクが適していると思うのだ。