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見る角度による違い [日々のあれこれ]

自虐的考古史観という壁




俺は縄文時代に関心があって、時々ネットで調べたりしている。

最近あるユーチューバー「H氏」の縄文に関する動画を見て考えさせられた。

縄文人が作った土器や土偶は、俺が子供の頃に習った歴史では弥生時代に比べて粗末なモノだったと教えられたが、実際に東京国立博物館で特別展「縄文―1万年の美の鼓動」で弥生土器なんて比較にならない超絶技巧の縄文土器を目の前で見て、それまでの縄文に対する認識が180度変わった。

H氏も動画の中で日本の歴史研究で縄文をはじめとする太古の日本に関する評価がオカシイと発言されていた。

確かに不自然だけど、日本の超古代を調べようとするとどうしても2000年に発覚したアマチュア考古学研究家「藤村新一」による「旧石器捏造事件」を思い出す。

あの事件のせいで日本の考古学がイマイチ信用できないインチキ臭いイメージになってしまった。

ただアマチュア研究かではあるが、H氏は日本人のルーツを独自に追い続け、様々な角度から自説を唱え続けておられ、そのエネルギーに驚かされる。

そんな「日本が大好き」なH氏が、現在の政治や教育に関しての考えを述べている動画も見てみた・・・H氏は俺が見る角度とは違う方向から見ている事に気がついたが、その内容は凄く新鮮だった。

「ああ、そっち側の人にはそう見えているんだ」と驚くと同時に、H氏に見えている世界もそんなに悪いものでは無いと思った。

H氏は日本人が日本の本当の歴史を知らないと嘆いておられた。

確かに、H氏の言うとおり日本の成り立ちを追いかけると「自虐的考古史観」という壁にぶち当たる。

この自虐的な方向に仕向けているのは、どういう関係の力なのだろうか。

日本は古代史の研究だけで無く、現在にも謎は多いと感じたのだ。