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菅沼孝三さん死去 [音楽]

手数王天国へ旅立つ


お亡くなりになった菅沼孝三さんのご冥福を心からお祈りします。

何から書けばよいのか・・・一度書いたんだけど、文字数が凄くなったので半分以下に削った。

菅沼さんはジャズ・フュージョンから、ラウドネスのボーカリスト仁井原さんのデッド・チャップリンやX JAPANのボーカリストTOSHIさんのバックバンドから谷村新司やプログレッシヴロックまで、オールラウンドな天才ドラマーだった。

ラウドネスのリーダー樋口さんがお亡くなりになった時、菅沼さんがヘルプで叩いたけど、今度は菅沼さんが亡くなってしまった・・・。

菅沼さんで有名だったのがCHAGE and ASKAで、俺なんかも紅白に出ていた勇姿を見たけど、俺は菅沼さんといえば矢堀孝一さんとの「FRAGILE」や和田アキラさんとの「W.I.N.S」かな。

昔を思い出すと、アチコチに話が飛びまくると思うが・・・

・・・俺が初めて菅沼さんを見たのは、1980年前後だったと思うが、大阪のアメリカ村に「BAHAMA」というライブハウスというよりは、今で言うライブ・バーみたいな小さな店があった。

PAが無くてボーカルだけマイクを使って、それ以外はドラムもアンプも生音で、そんなショボい音でも土日以外の日は大きな音が出せないのでアンプの音量を絞る指令が出る様な店だった。

そこのマスターが「バハマ号」と名付けられたママチャリに乗っていて、ある時BAHAMAに用があって行くと、店の前でスタンドを上げたバハマ号のペダルをシャカリキになって漕いでいる小柄なお兄さんがいた・・・それが孝三さんだった。

もう記憶が曖昧だけど、その頃の菅沼さんはBAHAMAで・・・確か名前に「ぞう」が付く3人組で「ぞうトリオ」みたいな名前のバンドで定期的に出演されていたと思う。

それから時は流れ、俺は近鉄奈良線の富雄駅前にある「JEWEL」というスタジオでリハーサルをするバンドに所属していた時、曲も揃った頃にライブでもやるかという事になりデモ・テープを作ることになった。

その時、奈良駅近くの三条通に当時「あこや楽器」というレコードと楽器に大きなスタジオまである店があったんだけど、そこにレコーディング機材を持ち込んでJEWELの社長の里誠一さんにテープを回していただいた事があった・・・因みに里さんは2001年制作の菅沼さんの1作目のオリジナル・アルバム「KOZO」のプロデューサーもやっておられる。

里さんとは、俺が高校の頃にやっていたバンドのドラムが、ギター担当の里さんがリーダーのバンド「JEWEL」と関係があったので昔から知っていた。

で、その頃里さんは「Black Page」というバンドのデモテープを録った直後で、富雄のスタジオのロビーでバンドのメンバー達とそれを聴いてぶっ飛んだ!

Black Pageとは、残念なことに2014年にお亡くなりになられた関西プログレッシヴの重鎮キーボーディスト小川文明さん率いるプログレッシヴ・ジャズロックバンドで、ドラムは菅沼さんで、Black Pageはその後キングレコードから名盤「Open The Next Page」をリリースする。

里さんに聴かせてもらったBlack Pageのデモ・テープは「理解不能なスーパーテクニックの応酬」って感じで、俺は「自分がやっているバンドと違うジャンルで助かった!」と思ったが、それを聴いたベース担当は「バンドとはこうあるべき」と立ち上がり「馬鹿テクは正義だ!」と、当時の我々の実力の差に危機感を感じて興奮していたが、それは俺も正しい!と思うと同時に、努力して近づけるとかの次元の話では無いとも思った。

とにかくリズム隊の音が凄くて、「ベースは何使ってるの?」「Steinbergerって何?」「EMGって何?」と、里さんに質問しまくった・・・あの時は「うちのベースもSteinbergerに変えてくれないかな」と本気で思った。

当時、大阪の街ではBlack Pageというスーパーバンドの存在は噂になっていて「対バンになると一番最初に出て凄まじい演奏をして次のバンドがショボく見えた」みたいな、同じ日にブッキングされるのが恐怖みたいな話を耳にしていた。

再び時は流れて、俺は東京でMargeLitchというバンドを結成し、やがて2代目のドラマー長倉氏と知り合った。

長倉氏と知り合った頃は俺が目指す音楽への準備段階の時期で、あるとき長倉氏から「お勧めのドラムって誰?」と聞かれた俺は、自分の目指す音楽の方向を考慮してBlack Pageの「Open The Next Page」のCDを渡した。

それから菅沼さんにはMargeLitchのアルバム「彗星の翼」のライナーノーツを書いて頂くなど大変お世話になった。


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菅沼さんのドラミングは、「超絶テクニックでねじ伏せる」感じで、神業的なドラムを「スティックを耳から入れる手品」とかをやりながら余裕でやってしまう化け物的な凄さに満ちていた。

渋谷のエッグマンでみた天才キーボード奏者「西脇辰弥」さんとの強烈な演奏というか「バトル」は今でも脳裏に焼き付いている・・・なんというか「頂上決戦」みたいなライブだった。

そんな手数王は都市伝説も凄かった。

俺が某レコスタの関係者から聞いた話は、警察がドライバーの運転の自信過剰対策として運動神経が如何に危ういモノなのかを数値で表す機械を開発した。

それは両手に1本ずつ棒を持って、モニタに右とか左って出る指示に合わせてパッドを叩くみたいな機械で、誰もが幾ら頑張ってもモニタに表示される速さについて行けなくて5点とか10点とかしか出なかった。

そこにスピード違反をした菅沼さんがやってきて、いつもの手数王スタイルでバーッと叩くとあり得ない点数が出たという話だった。

しかしあのドラムだから、それに合わせるミュージシャンも大変だったと思う。

MargeLitchのベーシスト神保氏が「美狂乱」のライブで弾いたときのドラマーが菅沼さんで、怒濤の超難易度のトリックプレイに神保氏のベースが乱れた時、天才神保も人間だったんだと驚いた。

しかし、ドラムスクールとか精力的に全国を走り回っておられたので、これからも元気に活躍されるものだと思いこんでいたので凄く残念。

手も足も全てが異次元の凄さで、常に高見を目指す唯一無二の天才だったと思う。

どうか安らかにおやすみください。

菅沼尊師、さようならなのだ。