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昔観た映画の印象 [日々のあれこれ]

今も同じだった


最近、昔観た映画をNetflixで見直している。

例えば子供の頃に観たので、結末だけは覚えているが中身を殆ど覚えていないものとかを観ている。

松本清張の名作を映画化した「砂の器」なんて子供の頃映画館で観たが、誰が犯人かは覚えているが、内容は殆ど覚えていない…覚えているのは延々と続く日本海の海岸をボロボロになった親子が歩くシーンと、加藤嘉さんの熱演位だろうか。

とりあえず何十年ぶりに改めて見直してみたんだ。

一言で言えば「ひたすら悲しい物語」で、映画の後半は台詞を省いて淡々と悲しい曲を聞きながら悲しいシーンを見る感じ。

ただ、悲しみという感情が感動に変わらないのが惜しい…その変わらない原因は加藤剛が緒形拳を殺害する動機が難解な事だと思う。

旅に行き詰まった親子を親身になって助けた大恩ある緒形拳に対して、父親の病とか自分の過去をばらされたくない程度の事で犯行に及ぶのは納得行かない。

「彼は音楽の中でしか父親には会えない」云々という理屈にも無理があって、加藤剛はかなり俗物に描かれていて芸術に身を捧げている様には見えない。

だから犯行の動機に関しては映画内で取調室などで加藤剛の口から聞きたかった…これがハッキリしないことで「この映画は何が言いたかったのかな?」という疑問が消えない。

筋書きも面妖で、丹波哲郎と森田健作が東北に捜査に出かけて空振りに終わるシーンも、もっとアッサリしていて良いと思うし、そもそもこの物語に森田健作や島田陽子って必要か?と思った…何か全体像をモヤッとさせる無駄が多いと感じた。

そして、子供の成長で最も重要な時期に学校にも行かず劣悪な流浪の旅に連れ回された子供が、その後苦学したとはいえ天才ピアニスト兼作曲家と言われるような存在になれるか?と、違和感を感じた。

ピアノなんて幼少期から理屈で無く身体で覚えないとモノにならない…ちょっと音楽とか楽器を舐めていると思った。

加藤剛が作曲した「宿命」という曲も何かイマイチガツンと来ない…エンディング部分はベートーヴェンの運命みたいなユニゾンがあるものの、とってつけたような前衛的な難解な音当りが引っかかって「良い曲だな」とはならなず、とにかく物々しい…もっと「滲みる」感じで良かったと思う。

映画のクライマックスは逮捕状を取る前の捜査会議で、集まった担当刑事達の前で丹波哲郎が事件の真相を長台詞で朗々と語り、加藤剛のピアノ演奏とお遍路の親子の絵が入れ替わって盛り上がる。

丹波、森田、島田、緒方と「宿命」がガ~ッと盛り上げたのを、車いすで登場した加藤嘉が大人に成長した息子の写真を見た途端ブルブル震えて「おら、そんな人、しっ知らねぇ!」の一言で全部持って行ってしまった…加藤嘉が全部持っていった。

だから、緒方拳はこの映画の出演依頼を受けたとき、加藤嘉の役をやりたいと熱望したらしいが、監督の野村芳太郎から「この役は映画化の話が決まった時から加藤嘉さんに決まっている」と断られた。

でも緒方拳も頑張った。

お遍路の旅がいよいよ行き詰まって歩けなくなった加藤嘉を、親切な駐在の緒方拳が介抱して療養所に行くよう説得する。

荷車に布団ごと乗せられた加藤嘉が駅に向かうのを、子供の加藤剛が線路沿いに追いかけて駅で抱き合う…泣けるシーンなんだろうけど、俺には加藤嘉は幼い子供を連れて何がしたかったのだろうか?という疑問の方が大きくて映画にのめり込む事が出来なかった。

その後、加藤剛少年が緒方拳の家から抜け出すが、その動機もよく判らない。

ただただ、気の毒な親子の悲しさと、裏日本の美しくも厳しい四季の映像がこれでもかと襲ってくる。

今回何十年ぶりかに「砂の器」を見直した今の俺の感想は、「子供の頃の俺には理解できなくて当たり前」と思うと同時に、子供の時の印象以上でも以下でも無かったなと思った。

今回も見終えると…加藤剛も髪型がチョンマゲで無いから存在が薄いし、結局加藤嘉と日本海の砂浜しか印象にない。

俺には悲しみや感動以前にストーリーも音楽も難解すぎたのだ。