SSブログ

寺内タケシさん死去 [音楽]

エレキの神様



エレキの神様寺内タケシ氏がお亡くなりになった…安らかな眠りにつかれますよう、お祈りいたします。

ギターで俺より1段上のジェネレーションが影響を受けたバンドはザ・ビートルズとザ・ベンチャーズ。

歌いたい人はビートルズ、ギター弾きはベンチャーズだったと思うが、俺がロックを聴く頃には既にハードロックが全盛だったが、その前の時代はベンチャーズのギターサウンドは革命的で、日本でも多くの若者に影響を与えた。

日本でベンチャーズから影響を受け、それを自分の中で昇華させたのが寺内タケシ御大で渡辺香津美さんや山岸潤史さん、チャーさんなどに影響を与えた。

そもそも大昔のバンドでギターの立ち位置は大人しい存在で、ロックミュージックが生まれていない時代のギター演奏は、アコギでコードカッティングなどパーカッション的な存在に近かった。

ギターアンプも歪むという発想は無くて、歪めば修理という認識だったが、ある時から過激に歪んだ音を出す若者が登場し、それがハードロック誕生に繋がる。

当時、そういうギターサウンドの進化の道とは別の道があって、ベンチャーズのギターサウンドは「歪ませない音」を使って高度なギターテクニックを披露するという、アンプ機材の進化の過渡期にごく短期間だけ存在した特殊な道だったと思う。

寺内御大はベンチャーズに影響を受けるが、本家の驚異的なギターテクニックに追いつけず、ギターそのものに秘訣があるのでは?と65年にベンチャーズが来日した時にステージにあったギターを弾いてみると、弦が細くて弾きやすい事に驚いた。

御大は、それまでベンチャーズの様なチョーキングをしようとしてもダメで、外人は握力もあるんだろうと指を鍛えるためにクルミを握ったり腕立て伏せで特訓していたが「なんだ!こんな柔らかい弦を使っていたのか」と驚いたらしいが、それが今のERNIE BALLのスリンキー弦だった。

そのときにベンチャーズから弦を5セット譲ってもらったのをヤマハに持ち込んで作らせたのが日本のライトゲージの始まりらしい…このハナシは成毛滋氏がベンチャーズの楽屋でもらったという説もあったりする。

御大の楽器や機材は、かなり特殊。

まず関東学院大学の電気科出身で機材に詳しいから、自作が多くアンプやPAなども自分で作っていたらしい。

ラックに収まっているプリアンプも自作で、ラックの左右にスピーカーボックスを並べてステレオで出力していると思われるが、恐らくステージ上での音量は相当抑えていると思う。

ペダルボードも使っていて、真ん中にBOSSのボリュームペダルを挟んで左右に3つづつ真っ黒に塗りつぶされたペダルが並んでいるが、ボリュームのツマミを交換しているだけで全てネジ位置からBOSSのエフェクターで、右側3つが歪み系、左3つが空間系だと思う。


06.23.01.jpg


一番右はBOSSのOD-1の銀ネジに見えるが、外部から引き込まれたケーブルが2本が変な位置で刺さっているのが気になる…かなり重要らしく、暗い中でも判るようにスイッチ部分にボリュームペダルと同じテープが貼られている。

下に並んでいる4つのラッチスイッチは何処に繋がるんだろうか?セッテイング前の写真かも。

ギターは御大が日本のモズライト代理店で作ったシグネチャーで、通常はネックがデタッチャブルなのが御大のはセットネックなんだけど、ヘッドからボディー下まで一本のメイプルの通しネックだと捻れが生じやすいので、途中で分断してウオールナットで繫いでいる。

ボディーは重量を考慮してバスウッドらしい…重量は削れるだけ削っているらしいが、それでもかなりの重量らしい。

音は、プリアンプが御大が40年前に自作したものなのでどんな音が出るのか判らない事と、そもそも俺がモズライトギターのデフォルトの出音を知らないので何とも言えないが、単純なクリーンには聞こえない。

ミドル域がオーバードライブをブースターとしてアンプ前段に挟んだ質感を感じるが、いずれにせよハードロック系のギターが作るクリーントーンとは別もので、ギターというより三味線の音に近い感じで、小さな三味線ではなく大きくてネックも太い津軽三味線のジャーンという音に近く聞こえる。

御大は基本、その三味線サウンドが野太くガーンと抜けてくれればOKなんだと思う、空間系エフェクトは抑えて音を前に出すのが好みな感じで、ベンチャーズ系のギタリストだから本家の様にスプリングリバーブべたべたかなと思っていたら意外にドライだった。

ステージで特筆すべきはケーブル類で、1メートル16000円の日立製無酸素銅OFCのクラス1の赤いケーブルを使っているが、恐らくノイズ対策だと思われ、アンプなどが使うステージ上の電源は120ボルトに昇圧するなど御大の徹底した拘りがある。

思うに年齢からすれば真空管の温かい歪みとかに拘りそうだけど、御大は抜けの良い硬質でhi-fiな音が好みだったのかも。

俺なんかは、御大は電子機器に明るいので機材に懲りまくっているのか?と思ったが、むしろ逆で、余分なモノは使わず質実剛健な機材で音痩せせずノイズレスな音さえ出せれば、後は自分の指でサウンドを作り出すタイプのギタリストかなと、変化球より直球勝負に感じた。

YOUTUBEに御大最後のステージの動画があった。

神戸にある日本モズライト正規代理店代表の岩堀氏が、物々しいSEの中で格好良く御大を呼び出してもナカナカ現れず、登場してもヨロヨロしていて療養の厳しさを感じた。

その動画でブルージーンズの曲を始めて聞いたんだけど、和洋折衷でコロコロ曲調が変わる「楽しい断片の切り貼り」みたいなインスト曲で、シンセが奏でる和楽器の音とかは時代劇のバックミュージックみたいな雰囲気。

とにかくバックバンドの演奏が素晴らしく、寺内御大も頑張ってギターを弾こうとするんだけど、曲に乗っかれなくて乗り損ねると、中村真也という背後にいるもう1人の影武者ギターがサッと御大のパートを弾いてしまう。

中村氏のギターは演奏と言うより曲芸の域で、御大が外れた音だろうが何だろうが1音でも音を出した瞬間にバッキングに切り替え、御大が沈黙した瞬間に主旋を弾く…しかもバッキングとリードの音まで笑顔のまま易々と切り替えている。

この驚異の「忖度弾き」はブルージーンズ以外のバンドでは需要のない超高等技術だと思うが、そんな演奏を見たことがないので驚いた。

俺は中村氏の演奏を一瞬聞いただけで、これはただ者では無いと思った。

御大とは明確に音に差があり、御大がどちらかといえば荒削りでぶっきらぼうなタッチなのに対し、中村氏はエフェクターのかけ方も非の打ち所のないふくよかで理想的なクリーントーンで、申し訳ないが音作りとギターテクニックでは御大の数段上のレベルの音を出していた。

自分のパートを弾いてくれている中村氏のメロを引き継ごうとした御大がガッ!とチョーキングをすると、筋力の落ちた御大の指がグキッと弦の張力に弾かれてしまった!捻挫だ!

俺なんかも、最近は長期ブランクからのギターリハビリな日々を送っているが、筋力が衰えた指がギシギシと危なっかしく横に揺れているのが判る。

1つ間違えば指を痛めるが、俺はこの事が如何に危険かを幼少期ピアノを習って学んだ…先生はピアノの重い鍵盤で指を痛めないように指を曲げた状態で弾くよう「お山(指の関節)2つよ!」と徹底して教えていた。

だから、現在俺はギターを弾く前の段階として、指が弦をコントロール出来る筋力に戻す所から始めているが、御大は病気療養で衰えた指で「弾けていたときの感覚」のまま弾こうとしたので一発で指を痛めてしまい、その後は指が痛くて弦を押さえられなくなくなってしまいステージは中村真也さんの名演奏の独壇場となった。

でも、お客さんはエレキの神様がステージに立ってくれているだけで良いんだと思う…神様を見にやってきた信者さん達の慈愛に満ちた温かいライブだった。

そんな厳しい御大の最後の演奏動画だったけど、1つだけ錆び付いていないモノが見れた…それは御大独特のピッキングだった。

俺は三味線の事は全く無知なので判らないけど、「ピックの握り」と「手首の使い方」と「振り」はエディー・ヴァン・ヘイレンのハミングバードみたいで、ピッキングも極めるとジャンルとか関係ないんだなと思った。

最後までステージに上がり続け、「バンド」での演奏に拘った御大は凄いと思った。

多くの人に愛されたのは、演奏や音に御大にしか出せない味があったからだと思う。

さて、御大に影響を受けたギタリストとなれば、いよいよ俺が影響を受けた世代になり、言うまでもなく全員がいつお亡くなりになってもおかしくない高齢者ばかりだ。

こうなってくると俺もそろそろ棺桶が近いのだ。