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芸術の秋 [日々のあれこれ]

芸術とは何か[あせあせ(飛び散る汗)]

そろそろ暦では芸術の秋に突入。

芸術と言えば…名古屋で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019での「平和の少女像」などの展示中止などで騒いでいるが、俺はこの件に関心はないが、芸術とは何か?と改めて考えさせられた。

芸術とは何か?

評論家や学者達が声を揃えるのは、昔の絵描きや作曲家達は王様やキリスト教の司教などのパトロンから仕事を貰っていた召使いなので芸術家では無いらしい…というか、当時は芸術家という概念が無かった。

芸術家とは自分で表現する題材を選べる時代以降からの概念なんだそうで、作曲家ではモーツアルトはパトロン達の召使いで、ベートーヴェン辺りから芸術家という事らしい。

アートの概念も…俺なんかには難し過ぎて、「表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動」などと説明されても判った様な判らない様な曖昧なモヤモヤでスッキリしないし、何処までがOKなのかの線引きが曖昧過ぎてよくわからない。

名古屋の件では、政治的な事が背景にあるようだ。

俺は昔から、音楽に政治的メッセージとかは不要と考えている…というのも、子供の頃に聴いた外国のハードロックの歌詞なんて何も判らずに聞いていたので歌詞から影響は全く受けていないが、初めて聞いたときに受けた衝撃は、間違いなく俺の人生に多大な影響を与えているので、俺はそれらを芸術だと思っている。

逆に、表現物に関して制作者が底抜けにチープなモノしか創造出来ないのであれば、何も無理に芸術に拘る必要は無いと思う。

大昔に作られた彫刻や絵画、音楽などが地位の低い召使いの作品で、鉄くずにペンキ塗った様な粗悪なガラクタの像を持って「アート」と掲げるのは、幾ら政治的にゴモットモな背景があったとしても、それを表現と呼べるのかは甚だ疑問だ…少なくとも題材が良くも悪くも鑑賞者の心を動かす事がアートの最低条件だと思う。

例えばトーハクで開催された特別展「仁和寺」で見た葛井寺の国宝十一面千手千眼観世音菩薩像…日本最古の千手観音坐像で、「今晩この像がお迎えに来るなら死んでも良い」と思うほど筆舌に尽くしがたい…博物館の床が抜けるんじゃないか?と思えるほど圧倒的な存在感を放っていた。

近代クラシック音楽なんて奇妙で良さがサッパリ判らないが、それらより遙かに簡潔なバッハを聴くと音楽という概念では説明不可能な、凡庸な人が余計な考えを差し挟めない神懸かり的完璧さを感じる…音楽はスポーツでは無いので優劣を付けるのは難しいが、どちらが世界中の鑑賞者を魅了し影響を与えているかは言うまでもない。

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奇妙なくず鉄の像と葛井寺の千手観音やバッハの崇高な作品を、芸術という枠でひとくくりにするのは人類の英知に対する冒涜だと思う…テレビやネットに出てくる評論家や学者共はしたり顔で軽々しく芸術を語るなと言いたい。

俺にとっての芸術は「日曜美術館」レベルの楽しめる美しいモノで間に合っているのだ。