SSブログ

南極観測船宗谷 [日記]

船の科学館[カメラ]


日本科学未来館でマンモスを見た俺と友人Kは、隣にある「船の科学館」に初代の南極観測船である宗谷の勇姿を見に行った。

06.22.01.jpg


宗谷は昭和13年にソ連が発注した貨物船だったが、進水後に日本の貨物船として竣工する。

その後大日本帝国海軍の特務艦「宗谷」となり南太平洋でアメリカの潜水艦の魚雷が命中するが不発、トラック島大空襲では奇跡的に宗谷だけが生還するなど強運と軌跡の船と呼ばれるようになった。

その後、海上保安庁の灯台補給船となるが、日本初の南極観測船として大改造される。

観測船の候補は他にも宗谷より優れた船があったが、改造の予算などと共に「船運の強さ」も選定対象となり、トラック島空襲に巻き込まれ回避行動中に座礁するも潮が満ちて自然離礁し漂流するなど宗谷の強運が評価された。

宗谷の南極観測船への改造工事は、造船所以外からも集まった職人達が意地とプライドを賭けた突貫工事で、独自に新技術を編み出していた各企業全454社も惜しげもなく資材を提供するなど、当時の日本の技術の粋を集めた結晶。

06.22.02.jpg


そして映画にもなったタロとジロの物語など、様々な南極伝説が始まった。

06.22.15.jpg


俺が初期の南極観測の出来事で最も興味深いエピソードは「南極ゴジラ」で、第2次観測時に南極で宗谷の船長松本満次と乗組員が南極近海で大型の未確認動物を目撃している。

視界は良好の中、船橋の船長、航海士、機関長、操舵手らの前方300メートルに目や尖った耳、全体を覆う焦茶色の毛をした生物が出現した。

船長によれば、前から見た顔は牛のようで、頭の長さは70から80センチメートル程度で、海面に浮いていたので全体の形や大きさはわからないとの事で、別の方向から見た乗組員によれば、背中にのこぎりの刃のようなひれがあった。

巨大UMAは30秒くらい見えていたが、機関長がカメラを取って船橋に戻って来た時には見えなくなっていて、残念ながら写真を撮影する事はできなかった。

その後この事件を船長が著書で「南極のゴジラ」と記して知られるようになった。

宗谷の乗組員は船長を含め経験豊かな海員で、既存の動物や物体を誤認したとは考えにくく、南半球の海にはニューネッシーを始め、まだ発見されていない生物が多い…というか、まだどういう生物が生息しているか殆ど判っていない。

06.22.13.jpg


憧れの艦橋からの眺めは最高だった。

06.22.08.jpg


俺は感激しながら、ウルトラQで万城目を乗せた南極観測船がペギラに遭遇するシーンを思い出していた。

06.22.10.jpg


南極にはペギラの様な怪獣がいるんだと思う。

06.22.11.jpg


船内は思ったより狭くて、ベッドやテーブルなど一つ一つが通常のモノより小さく作られているように感じた…宗谷は船底が丸いために外洋に出ると凄まじく揺れたらしいが、船酔いの人には南極までの航海は大変だったと思う。

06.22.05.jpg


宗谷は観測の度に改良されており、第3次観測では世界ではじめての砕氷航空機母船に大改造され、大型ヘリ発着甲板を持つ「ヘリ空母」「ミニ空母」と呼ばれていた。

06.22.09.jpg


宗谷は何度も名前を変え、戦地や南極を何度も往復するなど数多くの任務を果たしてきたのに船内は凄く綺麗だった。

06.22.16.jpg


南極観測の防寒着も当時としては最高の技術だったと思う。

06.22.06.jpg
06.22.04.jpg


医療設備も想像以上に本格的だった。

06.22.07.jpg
06.22.12.jpg


幸運の艦宗谷は、銀英伝ではユリシーズなんだと思った。

06.22.14.jpg


南極での大冒険、巨大UMAとの遭遇など、宗谷には夢と希望がギッシリ詰まっていた。

大満足の宗谷見学だったのだ。