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春の儀式 [日記]

出会いと別れ[あせあせ(飛び散る汗)]


春といえば、極寒の冬から少しずつ暖かくなって、枯れていた植物たちが芽吹き始める良いイメージだけど、何処か心の奥深くにソワソワした落ち着きのない、心が躍る春のイメージとは真逆の気怠い感覚が潜んでいる。

それは、新小学校1年生になるときに、祖父母や両親が買ってくれた見慣れない筆箱とか、ランドセルなどに対する真っさらなワクワク感より、高校入学の時の慌ただしく落ち着かない心理が大きいのかもしれない。

それまで地元の小・中学で長年共に学んでいた幼なじみ達と別れた数日後に、全く新しい環境に飛び込むのは、今から考えるとかなりエネルギーの要る事だった。

そもそも、俺みたいなのでも高校入試で幼なじみ達との別れを気にしている余裕がなかったし、中学の卒業式の時は既に数日後に控えた高校に気持ちが行っていたので、余りどういう卒業式だったのか記憶にない…それよりはまだ高校の入学式の方が良く覚えている。

とにかく春は自発的でない「別れ」と「出会い」という2つの両極端な「仕方のない儀式」がトラウマになっているのか、何処かソワソワして落ち着かない…毎年この時期は、嬉しくない憂鬱さに支配される。

そして俺の場合、今の職場で自発的でない別れと出会いという混乱の中にいる…今回は誰かが抜けたり去るとかでは無く、職場の全員がバラバラに散っていく。

銀英伝の最終話で、ラインハルトの死に立ち会うため首都星フェザーンに行った同盟戦士最後の生き残りのアッテンボロー、ポプラン、ユリアンのあっけない別れに似ている。

もちろん働く職場が変わっても、今の職場で友となった人達との付き合いはこれからも変わらないので、お互い今回のドタバタが落ち着けば再会しようと連絡先のやりとりはしている…お互い嵐が通り過ぎるのを待っている小動物の気分だ。

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この混乱は当分続くので、俺のバンドのメンバー達も偶然皆忙しくて活動が中断しているのも凄く助かっている。

最近までリハビリとかやっていたけど、ちょっと楽器を触る状況に無い…せっかく手に力が入る所まで復活していたが、また最初からやり直しだ。


出会いと別れ…職場での関係だと挨拶するだけのドライな手続きで終了だけど、親子や夫婦、溺愛しているペットとの別れとなると話は変わってくる。

俺は溺愛していたネコの吉之助が死んだ時に、もう一生ペットは飼わないと心に誓った…今でもネコは好きだが、再び自分から進んであの気分に陥る程俺の神経は強靱に出来ていない。

つまり、どんな出会いであれ、付き合いが始まった瞬間から期間限定のつきあいで、最後には必ず別れがワンセットになっている気がして、辛い別れが待ってくるなら最初から出会わない方が後で傷つかなくて済むんじゃ無いかと、俺なんかは出会うことに臆病になってしまう。

関係が親密になればなるほど悲しい別れになるというのは、非常に残酷なのだ。