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俺の叔母さん [日記]

先祖の謎[ぴかぴか(新しい)]


このたび亡くなった父親が入院していた病院は、偶然叔母の住んでいる近くだった。

この叔母さんは、俺の亡くなった母親の妹で、俺の父と血のつながりはないが、もうこれが最後と火葬場まで付き合ってくれた。

叔母は随分俺を可愛がってくれた…不思議な事に、俺がピンチに陥るとこの叔母が元気いっぱいで登場する。

火葬場に行く前も、祭壇を前にして少しの間お別れの時間があったんだけど、機関銃の様に喋り続ける叔母のおかげで、気持ちが沈まず救われ、元気が出た。


今回の遺品整理で、幼い俺と叔母の写真が出てきた…祖母が美人だったので母の女兄弟は皆美人なので紹介しがいがある。

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叔母もすっかり孫がいるお婆ちゃんなんだけど…不思議なことに体型などは変わらず、若い頃の面影を維持している。



奈良市の火葬場は古いので火力が弱いので、お骨あげまで時間が掛かる。

待ち時間に様々な手続きを済ませようと移動する車の中で、俺は疲れで惚けまくっている頭で、叔母に以前から是非にでも聞いておきたかったことを奇跡的に思い出した。

その日は東京に帰る予定だったので、下手すれば叔母とはもう二度と会わなくなるかもしれない…その前に、俺の先祖の事を聞いておきたかった。

俺は父から父方の先祖の事は聞いていたが、母方の先祖に関しては大体の事しか判らなかった…父に母方の祖母の出身地を「桜井とちゃうんかな?」と聞くと、「うん、そっちの方やと思うが…桜井やのうて橿原と違うかな」程度しか判らず、詳しいことは叔母に聞けと言っていた。

桜井にせよ橿原にせよ、以前の俺はそういう事に全く興味が無かったが、見仏をするようになって俄然その付近の歴史や寺、仏像などに凄く興味がわいたが、詳細を知っている母親は既に亡くなってしまった。

橿原の歴史といえば、日本書紀によれば畝傍橿原宮というのがあって、橿原神宮は日本初代天皇である神武天皇を祀っている日本の建国の中心地で、橿原市から明日香村にかけて存在した藤原京は日本史上初の条坊制を布いた本格的な唐風都城…橿原は日本の歴史の中心だ。



年老いても頭脳明晰な叔母は、自分の母親の実家の事だから詳しく知っていて、次々と地名や駅名などを教えてくれた。

…最近は個人情報云々がうるさいが、俺なんかに他人に知られて不味いご大層な機密情報なんて無いので話を続けるが、やはり父の言っていた通り橿原市だった。


近鉄大阪線の大和八木駅から1つ目の「真管(ますが)」という駅の近くが、俺の祖母が住んでいた場所。

調べてみると、真管は橿原市に統合される以前は高市郡真菅村といい、村名の由来は柿本人麻呂が詠んだ「真菅よし 宗我の河原に鳴く千鳥 間無しわが背子 わが戀ふらくは」に因んでいる…1200年以上前の、日本に現存する最古の和歌集である万葉集に、先祖が暮らした土地の事が詠われていた。

因みに俺が最近まで思っていた場所「桜井」は、祖母の兄弟が住んでいるらしい。

ナントナクぼやけていた先祖の場所が明確になり、スッキリした。


叔母に会えて良かったのだ。