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地獄の移動 [日記]

究極の不運[あせあせ(飛び散る汗)]

父親の葬儀を済ませ、俺は京都に向かう近鉄特急の中で真っ白になっていた…せっかくの奈良・京都なのに、写真の1枚すら撮らなかった。

もう疲労困憊を通り越して、普通に立っているだけで「ん?地震か?」と地面が縦に大きく揺れている感じが抜けない。

知恵熱に似た頭痛が取れないので、とにかくバファリンを飲み続けた。

京都から劇混みののぞみ号の指定席に座る…隣は一息毎に咳をする奇人で、ずーっと咳をしている。

反対側は九州からやってきた出張サラリーマンの冴えない2人組で、酒に酔って大声で会社や上司の悪口や泣き言を喚き続けている…何でここまで悪い席に当たるのか?と、自分の運の無さに改めて驚いた。

そして新横浜に着く20分ほど前に、車両先頭にある電光掲示板に赤い文字で「後続の東京に向かう列車が岐阜県辺りで停止している」との情報が流れ、暫くして車内放送で新横浜から先は大幅に時間が遅れるので、降りれる人は降りた方が良いとアナウンスがあった。

ほぼ満席の車内は、9割り以上が日本人で旅行客は見かけなかった…車内は大人しい日本人だけのはずなのに、怒号が起きた。

そりゃそうだ、ボッタクリ運賃の新幹線の唯一の取り柄といえば時間通りに運行する位で、それが動かないんじゃ湘南新宿ラインと変わらない。

滅多に無い新幹線のトラブルに、よりによってこんな時に遭遇するって、何処まで運が悪いのか。

腹が立ったけど、怒る気力が無い…打たれ続けるボクサーの様に、次々襲いかかってくる天文学的確率の不運をただ耐えながら浴び続けているだけだった。


俺は新横浜に到着してから動く気配が皆無なのぞみ号から出て、列車を乗り継いで帰ることにした。

新横浜駅で降りるのは初めてなので、右も左も判らない。

横浜駅は知っているけど、新横浜って何?って感じ。

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ナントナクJR横浜線に乗って横浜に行き、東横線→副都心線→西武池袋線で帰ろうとイメージした。

ところが極寒のホームで延々待たされたあげく、やってきた列車は横浜駅の1つ手前の神奈川駅止まりだった。

とりあえず新幹線から降りた客が合流して超満員の車内に父親の骨壺の入ったリュックを押しつけて乗り込むと、次ぎの停車駅が「菊名」という駅で東横線に連絡しているという事で、菊名で東横線に乗り換えると「清瀬行き」という列車がやってきた…東横線は西武池袋線と相互乗り入れなので、そのまま乗っていれば清瀬に着く。

結果から言えば「そのまま乗っているのが正解」だったんだけど、俺は以前から横浜方面から都心を経由せずに清瀬に行くルートに興味があったので、こういう機会は滅多にないと東横線の武蔵小杉でJR南武線に乗り換えてみた。

帰宅サラリーマン達で劇混みの南武線は無情にも登戸止まりで、そこから先は別ホームに移動して立川行きに乗り換えなければならなかった…腰が折れそうな程荷物を詰め込んだリュックを背負って、駅構内の階段をフラフラになって上り下りした。

更に混んでいる南武線に乗り、府中本町で今度は武蔵野線に乗り換え。

体力が限界を超えていたが、なんとか優先座席に座れて新秋津で下車、西武池袋線の秋津駅まで渾身の力を振り絞って歩いた…ここはなんでいつまでもこんなに駅と駅が離れているんだろうか?

清瀬駅に着いたので西友に寄ろうかと考えたけど、一刻も早く帰宅したい気分だったので、そのままバス停に向かった。

アポロで月面に行った飛行士は、真っ黒な宇宙空間に浮かぶ地球を見て「あそこに帰るしか無いんだ!」と思うと、青い地球が溜まらなく愛おしく見えたそうだが、俺も清瀬に帰るんだという思いで新横浜から6本の列車とバスを乗り継いで頑張った…頑張るって言葉は嫌いだけど、今回は頑張ったと思う。

それと、1人で良かったと思う、俺は見仏で独り旅には慣れているし、とにかく食事も取らずに走り回ったので、誰かと一緒だと足手まといに感じたと思う。


久しぶりに東京に戻ったけど、東京も寒いね!

ポンコツ新幹線にとどめを刺されて、最後は命からがらたどり着いたって感じで、俺も入院したい気分だった。

マジで、極限まで疲れたのだ。