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2018 冬 伊豆見仏・温泉旅行記 VOL.12 願成就院 [寺社・城・仏像・ミュージアム]

五体の運慶仏[カメラ]


修善寺を後にした我々は三島方面に車を走らせ、いよいよこの旅のメインディッシュである願成就院に向かった。

願成就院は、北条時政が1189年に建立した古刹。

源頼朝の奥州藤原氏征討を祈願して建立したとされているが、運慶による仏像はその3年前から造り始められているので、北条氏の氏寺として創建されたものと考えられている。

願成就院の大御堂に安置されている2013年に国宝指定された五体の運慶仏は、去年トーハクで開催された特別展「運慶」や、それに関連するテレビ番組で見たが、本物を本来ある所でライブで見るのも見物の醍醐味。


仏像を観賞する事に関しては、博物館の方が断然よく見れる…LED照明も良くなっているし、近くに寄れるし、へたすれば光背が外れていたりするし、裏側にも廻れる。

しかし、実際にお寺まで自分の足で行って、寺の建物とか線香の香りとかと一緒に見る仏像も、博物館では得られない独特の良さがある。

今回はその典型だった。

門前にある駐車場に車を止める。

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とうとう願成就院にやってきた。

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入り口の門をくぐる…

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鐘楼。

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北条時政公の墓。

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そして大御堂。

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大御堂の前で薄いピンクの作務衣を着た副住職の小崎淳子さんが箒を持って掃除中だった。

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我々以外に参拝客が居ないので大御堂は閉められていた。

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堂内に入ると、正面に五体の運慶仏が並んでいた…最初から圧巻だった。

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我々が堂内で固まっていると、遅れて堂内に入ってこられた副住職が「何か焦げ臭くありませんか?」と物騒な事をおっしゃった…国宝仏が所狭しと並ぶ堂内で火事があれば大変だと思って周囲を見渡していると、「線香を新しくしたので、そのせいかもしれませんね」という事で、落ち着いた。

運慶仏を前にして、思わずため息とうなり声が出た…トーハクで見ていて、その凄さは判っているはずなんだけど、やはり何度見ても凄いモノは凄かった。

度肝を抜かれるというか…暫くポカンと呆気に取られていると、背後から小崎淳子副住職ご本人による流暢な運慶仏の解説が聞えてきた。

今時は同じ高野山真言宗の寺院である當麻寺もテープでの案内なのに、参拝客に直接語りかけて頂けるのは、有り難いと共に「下手なことは言えない」というプレッシャーも感じた。

そんな萎縮気味の俺に順子副住職が「何処でここの事をお知りになられましたか?」と聞いてこられた。

副住職からの「よくぞ聞いてくれました!」という質問に、俺がどれだけ仏像が好きで、これまで見仏してきた中でも慶派は別格な事や、その中でも特別な運慶仏の価値というか有り難さとか…東京から近いようで遠い伊豆の願成就院が、これまで俺の中でどれだけ行ってみたい憧れの寺だったのかとか、そういう思い入れみたいなのを手短に纏めて説明したい発作に駆られ、脳細胞が沸騰して固まってしまった。

俺は運慶仏を見上げながら「運慶が最初に円成寺で大日如来を造ってから、どれ位でここに来たのですか?」と副住職に聞くと「10年後です」と即答された。

小崎祥道住職の次女の小崎淳子さんは、ロンドンでイギリスの企業で働いておられて、昨年、高野山での120日の修行を終え僧侶となったばかりなのに、仏像の事は学者並みに詳しかった。

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「毘沙門天は四天王だと多聞天だけど、こちらは最初から独尊像ですか?」と聞くと、最初から1体だけの注文だったと教えていただいた。

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北条時政が注文した運慶東国での初仕事の作品は、東国武士の影響で力強さを強調した作風に変化している。

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大御堂には願成就院の鎌倉時代全盛期の伽藍配置想定図という模型があり、発掘調査による伽藍の様子から大きな寺院だった事が判る。

中央に大きな池があるのを見て、「これは京都の浄瑠璃寺の様な浄土様式ですか?」と副住職に聞くと「そうです」と答えられ、少しだけ点数を付けて貰った気がした…俺はKに池を挟んで現世と極楽浄土を表している事を説明した。

中央に安置されている脇侍を持たない本尊阿彌陀如来の印相が珍しい形に見えたので、その事を質問すると「中品上生」の形なんだけど、像を持ち上げたときにどこかに当って指先が欠けていると説明した頂いた。

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指先が欠けていることと、如来なので水かきがある事で独特の印相に見えた様だ…そういえば、この旅の最初に行った「かんなみ仏の里美術館」の実慶作の阿弥陀三尊の印は下品上生という珍しい型だった。

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いずれにせよ、兄弟弟子の快慶は多くの阿弥陀如来を造ったが、運慶の阿弥陀如来は珍しいと思う。


お話しの中には、淳子副住職の願成就院や運慶仏への愛情と誇りみたいなのがビリビリ伝わってきた。

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日本の仏教界も、他の世界同様に高齢化とか後継者問題なども多いと思うが、凛と張り詰めた順子副住職の若く元気なお姿に救われた気持ちになった。

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その頼もしさと同時に、次ぎに進んだ部屋で、Kと日本のかけがえのない仏像達が性善説に基づいて無防備に管理されている事への危うさを語り合った。

どの寺や博物館もレプリカで無く本物なので、燃えてしまったり盗まれてしまうと取り返しが付かない。

実際、東大寺や興福寺だけで無く、交通の便が厳しい室生寺にまで韓国人に油が撒かれているし、対馬で韓国の窃盗団に盗難された仏像は韓国の裁判所が盗難仏像の日本への返還を事実上拒否する決定を下している。

これに対し、日本政府は「遺憾」を連発するだけで何もやらないのには、本当はお前ら何人なんだ?と言いたくなる。

こういう恐怖の事例に対し、伊豆だけで無く日本全国の仏像の管理は余りにも脇が甘く見え、心配になった。

最後にお守りを買おうとした時に、新しい参拝客がやってきた。

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順子副住職が、「応対をお願いしますっ!」と呼ばれると、どこからともなく旦那さまの小崎キースさんが現れた。

英スコットランド出身のキースさんは、2012年に順子副住職と願成就院で仏前結婚されている。

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キースさんは2000年から5年間、鹿児島や金沢市などで英語教師をされたいたので日本語はペラペラだった。

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慣れない日本でご苦労も多いだろうが、黒澤映画が好きなキースさんも将来的には高野山で修行されるそうで、お二人で末永くお堂と運慶仏を守っていって欲しいと思った。

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大満足で願成就院を出た。

車を走らせながら、どうか伊豆に点在する慶派仏像が、このままいつまでも変わらないであり続けて欲しいと願ったのだ。