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2018 冬 伊豆見仏・温泉旅行記 VOL.5 河津七滝 [旅行記]

伊豆の踊子[カメラ]


天城峠を越えた我々は、河津七滝を見に行った。

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七滝と書いて「ななたる」と読むらしい。

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富士山のコーラ。

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伊豆の名水を飲むことが出来る。

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川端康成の「伊豆の踊子」のブロンズ像などがあり、訪れた観光客にありふれた滝見物でなく文学散歩の気分に浸らせてくれるのは嬉しかった。

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「伊豆の踊子」は、川端康成が19才の時の実体験で、孤独や憂鬱な気分から逃れるために伊豆に一人旅をした時に道連れとなった旅芸人一座の踊子の少女に淡い恋心を抱くストーリー。

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青年の抱える悩みや感傷が、踊子の素朴で清純無垢な心に解きほぐされていく…

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いい人だと、踊子が言つて、兄嫁が肯つた、一言が、私の心にぽたりと清々しく落ちかかつた。いい人かと思つた。さうだ、いい人だと自分に答へた。平俗な意味での、いい人といふ言葉が、私には明りであつた。湯ヶ野から下田まで、自分でもいい人として道づれになれたと思ふ、さうなれたことがうれしかつた。


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…俺は子供の頃にこの小説を読んだけど大半は理解出来なかった。

しかし、滝を見て廻っているうちに…俺も同じ様な経験をした事があるのを思いだした。

それは、バンドである作品を作った時…

今のような便利な機材が無い頃だったので作曲したのをメンバーに伝えるのが大変で、短期間にアルバム全曲を書き下ろしたので心底疲れ切った事があった。

何とかデモを完成させたのは良かったが、一段落した直後から腰が抜けたというか、ガックリ来てしまって顔面麻痺というかチック症状みたいなのが止まらなくなった。

そんな俺を哀れに思ったのか、誰とも無く「何処かにのんびり旅行にでも行ってきたら」と言われたので、旅行に行きたいとは思わなかったけど、とにかく遠くへ行ってみようと当時住んでいた沿線の東武東上線で森林公園に行こうと列車に乗った…遠方であれば何処でも良かった。

森林公園駅に着いたものの、始めての場所だったので公園が何処にあるか判らず、適当に道を歩いていると下校する小学生の集団と出くわした。

当時の俺は金髪の長髪で、思ったことを口に出す小学生にヘビメタ兄ちゃんは格好の標的だった。

思った通り、子供達は数十メートル離れた位置で足を止めて、見慣れない生物を発見した様にこちらを凝視していた。

疲れていた俺は引き返すのも億劫なのでそのまま進んでいくと、子供達は道路の反対側に逃げて集団で俺の後ろを付いてきた。

俺は一番近くにいた男の子に「森林公園は何処?」と聞くと、それまで距離を置いて付いてきた集団が口々に公園の説明を始めた…彼らが教えてくれた情報によれば、どうやら駅の反対側に歩いてきたらしい。

もう駅から随分歩いているし、どうしても森林公園に行きたいわけでも無かったので、俺はそのまま次の駅まで歩く事にした。

道を聞いた男の子が、いつの間にか俺の横に並んで歩いていた。

俺はその子に「学校が好きか?」とか「勉強が好きか?」と声を掛けた…後方から付いてくる子供達は、次々と集団から離れてそれぞれの家に帰っていった。

横に歩いていた男の子も自分の家に帰ろうとしたので「駅は何処?」と聞くと「そのまま真っ直ぐ」と答え、元気に走り去っていった。

俺が駅に向かって歩いていると背後から子供が駆ける足音が近づいていたので、振り返るとさっきの男の子が息を切らせてやってきた。

俺を駅まで案内してくれると言う…。

俺達は再び並んで歩いた…俺は「世の中には悪い奴もいるから、知らない人に付いていってはいけないよ」と男の子を諭した。

すると男の子から「お兄ちゃん、悪い人では無いから」と、思いがけない言葉が返ってきた。

俺は…その一言で、全てが癒された気がした。

やがて道路の先に駅が見えてきたので、俺はポケットに入っていた全ての小銭を、男の子の小さな手に握らせ「これで漫画でも買いな」と言って別れた。

暫く歩いて振り返ると、少年は別れた場所から動かずに見送ってくれていた。

駅に着いて都心に戻る列車に乗ったとき、顔面の麻痺は消えている事に気がついた…森林公園に行かなくて良かったと思った。

純真無垢な存在の癒し…俺はあの日の少年の言葉を思いだしながら、滝を見て歩いた。

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河津の滝の雄々しい水音が、幽谷の絶対的な静けさに抗っているのを心強く感じたのだ。