題経寺・柴又帝釈天 [寺社・城・仏像・ミュージアム]
寅さんの街
2018幸楽の秋第1弾として、東京下町探索で葛飾柴又~浅草に行ってみた。
東京に住んで30年以上になるが、映画「男はつらいよ」で有名な柴又には一度も行った事が無かった。
俺は映画監督山田洋次さんの大ファンで、寅さん以外の作品も沢山観ているので行ってみたい場所だったんだけど「行こうと思えばいつでも行ける」と思っていると行けなかった。
今回は久しぶりに旅行仲間のKさんと上野で待ち合わせて出かけた。
台東区の上野から京成本線に乗って隅田川を渡って足立区、荒川を渡ると葛飾区になる。
京成金町線に乗り換えて柴又へ。
柴又駅に到着。
「懐かしい」といえば以前に訪れたことがあるみたいだけど、駅周辺が昭和の雰囲気満載で、昔に何処かで見た様な感覚。
駅前には「男はつらいよ」の車寅次郎役の渥美清さんと、
諏訪さくら役の倍賞千恵子さんの銅像があった。
こういうのって大抵は似ていなくて「夢を壊すな」ってガッカリするんだけど、寅さんもさくらも滅茶苦茶似ていて驚いた。
写真を撮ろうとするんだけど、観光客の凄まじい競争率で上手く撮影できない…誰かがフレームに入ってしまう。
柴又駅から帝釈天に向かう参道は、まさに日本人の心の故郷みたいな雰囲気がある。
「男はつらいよ」というギネスにも載った程の長寿映画の影響で、柴又が次第に映画風に変貌していったのか、それとも山田洋次監督が自分の中にある「男はつらいよ」のイメージを柴又に見いだしたのか…狭い参道の両側に並ぶ店など街全体が映画のセットの様だった。
そんなこぢんまりとした参道を少し歩くと、題経寺の二天門が見えてくる。
門の左右に四天王のうちの増長天と広目天が立っている。
大阪府堺市の妙国寺から寄贈されたらしいが、平安時代の見事な仏像で驚いた。
踏まれている邪鬼なども見事で、奈良・京都の仏像と比べても遜色無い凄さだった。
映画で佐藤蛾次郎が撞いていた鐘の鐘楼も見事だった。
帝釈天は、日本最古のは法隆寺にある玉虫厨子に描かれていて、東大寺法華堂や東寺にもの凄いのがあるけど、日本で一番有名なのは題経寺の帝釈天だと思う。
そして楽しみにしていた「彫刻ギャラリー」を観に行った。
法華経に説かれる代表的な説話10話を選び浮き彫り、大正~昭和の10人の彫刻師が1面ずつ分担制作したもので、想像以上に立派で驚いた。
繊細でキレキレの彫刻は見事で、雲中は平等院を思わせるほど精巧に彫られていた。
絵馬にも「彫刻の寺」と書かれている様に、他の建築物に彫られている彫刻も東照宮を彷彿させる程見事だった。
お守りを買った。
題経寺は去って久しい昭和のアナログな優しい時間が流れていた。
大満足で題経寺を出て、寅さん記念館や山田洋次ミュージアムに向かう。
「男はつらいよ」を観てから時間が経っているんだけど、団子屋「とらや」の裏にあるタコ社長の印刷工場などを見ると映画を思いだした。
壁にセピア色で描かれていた寅さんのマドンナを演じた女優さん達の若かりし頃の光り輝く姿を見て、懐かしいと言うよりは寂しさを感じた…セピア色がいけなかった、ある意味ここも時が止まっていた。
何だか暗い気持ちになってしまって、深いため息と共に外に出て、江戸川の河原に向かって歩いた。
矢切の渡しに乗ろうとしたが…
何かの撮影で船が来ないので諦めた。
お腹が空いたので参道にあった食堂に入り、さくら定食の蕎麦大盛りを食べた。
おなか一杯になった!
お腹一杯で苦しいので、楽しみにしていた高木屋さんの草だんごは食べなかった…また今度来るときは絶対に食べようと思った。
葛飾から浅草に移動。
相変わらず観光客でごった返していた。
浅草も何度か来たんだけど、殆ど何も知らない。
いつも観光客で一杯なので雷門より中には入らなかったけど、今回は奥の方まで探索してみた。
浅草寺って、法隆寺や東大寺を見てきた俺には東京で簡易にオリエンタルな気分を体験できる場所みたいな印象を持っていたんだけど、空襲で焼けたので奈良や京都の古刹みたいなビンテージ感は無いが、なかなかどうして立派なものだと見直した。
昭和48年製の鉄筋コンクリート造りの五重塔も、見上げると相輪が金色に光っていて、高さ48メートルと想像以上に大きくて立派だった。
観光地は中・韓の旅行者が目立つが、ここは白人の観光客の比率も多かったが、よくも民間人への無差別絨毯爆撃爆弾で全焼させた場所に来れるなと神経を疑う。
アメリカ人観光客が浅草寺に入るには、事前に映画「火垂るの墓」を視聴する事を法律で義務づけて欲しい。
浅草寺の境内から出て、浅草の街を歩いた。
この街は、テレビ全盛になる前は演芸場などが賑わった最先端の街だったそうだ。
しかし、娯楽が変わって街の雰囲気も変わった…俺の浅草のイメージは伊豆の熱海と同じで「昔栄えた場所」で、温泉街の射的場みたいな「誰もいない」印象だった。
しかし、歩いてみるとモダンな風景で活気があった…浅草は生き残れる街だなと思った。
東京の下町は、時代と共に手を変え品を変えて生きていく逞しさに満ちていたのだ。
2018幸楽の秋第1弾として、東京下町探索で葛飾柴又~浅草に行ってみた。
東京に住んで30年以上になるが、映画「男はつらいよ」で有名な柴又には一度も行った事が無かった。
俺は映画監督山田洋次さんの大ファンで、寅さん以外の作品も沢山観ているので行ってみたい場所だったんだけど「行こうと思えばいつでも行ける」と思っていると行けなかった。
今回は久しぶりに旅行仲間のKさんと上野で待ち合わせて出かけた。
台東区の上野から京成本線に乗って隅田川を渡って足立区、荒川を渡ると葛飾区になる。
京成金町線に乗り換えて柴又へ。
柴又駅に到着。
「懐かしい」といえば以前に訪れたことがあるみたいだけど、駅周辺が昭和の雰囲気満載で、昔に何処かで見た様な感覚。
駅前には「男はつらいよ」の車寅次郎役の渥美清さんと、
諏訪さくら役の倍賞千恵子さんの銅像があった。
こういうのって大抵は似ていなくて「夢を壊すな」ってガッカリするんだけど、寅さんもさくらも滅茶苦茶似ていて驚いた。
写真を撮ろうとするんだけど、観光客の凄まじい競争率で上手く撮影できない…誰かがフレームに入ってしまう。
柴又駅から帝釈天に向かう参道は、まさに日本人の心の故郷みたいな雰囲気がある。
「男はつらいよ」というギネスにも載った程の長寿映画の影響で、柴又が次第に映画風に変貌していったのか、それとも山田洋次監督が自分の中にある「男はつらいよ」のイメージを柴又に見いだしたのか…狭い参道の両側に並ぶ店など街全体が映画のセットの様だった。
そんなこぢんまりとした参道を少し歩くと、題経寺の二天門が見えてくる。
門の左右に四天王のうちの増長天と広目天が立っている。
大阪府堺市の妙国寺から寄贈されたらしいが、平安時代の見事な仏像で驚いた。
踏まれている邪鬼なども見事で、奈良・京都の仏像と比べても遜色無い凄さだった。
映画で佐藤蛾次郎が撞いていた鐘の鐘楼も見事だった。
帝釈天は、日本最古のは法隆寺にある玉虫厨子に描かれていて、東大寺法華堂や東寺にもの凄いのがあるけど、日本で一番有名なのは題経寺の帝釈天だと思う。
そして楽しみにしていた「彫刻ギャラリー」を観に行った。
法華経に説かれる代表的な説話10話を選び浮き彫り、大正~昭和の10人の彫刻師が1面ずつ分担制作したもので、想像以上に立派で驚いた。
繊細でキレキレの彫刻は見事で、雲中は平等院を思わせるほど精巧に彫られていた。
絵馬にも「彫刻の寺」と書かれている様に、他の建築物に彫られている彫刻も東照宮を彷彿させる程見事だった。
お守りを買った。
題経寺は去って久しい昭和のアナログな優しい時間が流れていた。
大満足で題経寺を出て、寅さん記念館や山田洋次ミュージアムに向かう。
「男はつらいよ」を観てから時間が経っているんだけど、団子屋「とらや」の裏にあるタコ社長の印刷工場などを見ると映画を思いだした。
壁にセピア色で描かれていた寅さんのマドンナを演じた女優さん達の若かりし頃の光り輝く姿を見て、懐かしいと言うよりは寂しさを感じた…セピア色がいけなかった、ある意味ここも時が止まっていた。
何だか暗い気持ちになってしまって、深いため息と共に外に出て、江戸川の河原に向かって歩いた。
矢切の渡しに乗ろうとしたが…
何かの撮影で船が来ないので諦めた。
お腹が空いたので参道にあった食堂に入り、さくら定食の蕎麦大盛りを食べた。
おなか一杯になった!
お腹一杯で苦しいので、楽しみにしていた高木屋さんの草だんごは食べなかった…また今度来るときは絶対に食べようと思った。
葛飾から浅草に移動。
相変わらず観光客でごった返していた。
浅草も何度か来たんだけど、殆ど何も知らない。
いつも観光客で一杯なので雷門より中には入らなかったけど、今回は奥の方まで探索してみた。
浅草寺って、法隆寺や東大寺を見てきた俺には東京で簡易にオリエンタルな気分を体験できる場所みたいな印象を持っていたんだけど、空襲で焼けたので奈良や京都の古刹みたいなビンテージ感は無いが、なかなかどうして立派なものだと見直した。
昭和48年製の鉄筋コンクリート造りの五重塔も、見上げると相輪が金色に光っていて、高さ48メートルと想像以上に大きくて立派だった。
観光地は中・韓の旅行者が目立つが、ここは白人の観光客の比率も多かったが、よくも民間人への無差別絨毯爆撃爆弾で全焼させた場所に来れるなと神経を疑う。
アメリカ人観光客が浅草寺に入るには、事前に映画「火垂るの墓」を視聴する事を法律で義務づけて欲しい。
浅草寺の境内から出て、浅草の街を歩いた。
この街は、テレビ全盛になる前は演芸場などが賑わった最先端の街だったそうだ。
しかし、娯楽が変わって街の雰囲気も変わった…俺の浅草のイメージは伊豆の熱海と同じで「昔栄えた場所」で、温泉街の射的場みたいな「誰もいない」印象だった。
しかし、歩いてみるとモダンな風景で活気があった…浅草は生き残れる街だなと思った。
東京の下町は、時代と共に手を変え品を変えて生きていく逞しさに満ちていたのだ。
2018-09-26 23:38