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運慶展閉幕 [日々のあれこれ]

値打ちの重み[ぴかぴか(新しい)]
この秋自分の先祖が暮らした場所を見仏で廻ってみたが、大化の改新当時の日本という国が出来上がる時代のモノがゴロゴロしていて、大和の深い歴史に改めて驚いた。

そして文殊院の快慶作の国宝渡海文殊や、聖林寺の国宝十一面観音など素晴らしい仏像の数々に圧倒された。

そういう究極の本物を見ると、何事も誤魔化せないんだなと、真理は1つしかないんだと思った。

ただ、今は誤魔化しや嘘で溢れている…「まがい物」が横行し、騙してでも手っ取り早くお金を稼ぐ事が尊ばれる世の中になっている。

本物を造るにはお金も時間も掛かるが、そういうモノに値打ちがあるんだという価値観が日本から消えようとしている。

真心を持って取り組めば千年以上光り輝くという古代の日本人の考えは、今の政府が唱えている生産性こそ正義という流れとは真逆だ…人間は成長する生き物だとすれば、普通は年月と共に中身も凄くなるはずなんだけど、日本の場合は何故かショボくなる一方。

今の日本は粗悪品、模造品、偽物で溢れかえっている…日本が世界に誇っていた「モノづくり日本」も、その実態は底なしのデータ改ざんだらけという惨状。

ゴミだらけの日本…そんな時代でも、トーハクで行なわれた運慶展に60万人を越える人たちが足を運んだのは一筋の希望かもしれない。

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運慶の作品は本物の芸術以外の何ものでもない。

俺も今年は奈良国博の「快慶展」とトーハクの「運慶展」、三十三間堂の湛慶作の本尊千手観音、同じく湛慶作の鞍馬寺の仁王像、トーハクに移動する前の円成寺の大日如来や興福寺仮講堂の康弁作の天燈鬼・龍燈鬼、北円堂の仏像の数々、文殊院の快慶作の渡海文殊など、慶派仏師の作を徹底的に見て廻る有意義な1年だった。

我が国に残る本物を見たいという気持ちは、日本人でありたいという潜在的渇望かもしれないのだ。