奈良 忍辱山・円成寺 [寺社・城・仏像・ミュージアム]
寺社・仏閣探訪ツアー2017 Vol.04
今回の見仏旅行「車で移動編」では、普段行けない寺や、車を使わないと行くのが厳しそうな寺に行こうと計画していた。
予定では京都は木津にある浄瑠璃寺に行く予定だったんだけど、興福寺の北円堂で晩年の運慶の弥勒如来を見てしまったので、まだ目に焼き付いている間に運慶最初期の大日如来がある円成寺に行きたくなったので予定を変更した。
円成寺は奈良市から柳生に向かう山道の途中にある。
地図で見たときの印象よりも山奥だった。
カーナビを頼りにドンドン山道を進んでいると「目的地周辺です」というコール。
え? 通り過ぎたかな?とUターンして、空き地っぽいスペースに車を止めた。
何処にも何の案内も無い。
ただバス停の横に缶コーヒーの自販機が、不自然に目立ったので「やはりここなのかな?」と…。
小さな門はあるんだけど、何も書かれていないが…他に入り口は無さそうなので入る。
立派な庭にある池の向こうには「わらび餅」と書かれた登りが立っている。
これは東京に戻ってGoogle地図のストリートビューで確認すると、もっと手前に「うどん・そば」というのぼりが立っていて、そこが正面入り口だったみたい。
どうやら俺はみうらじゅん・いとうせいこうさんの新TV見仏記の映像とは違う、裏門から入ってしまったようだ。
せっかく動画を作ろうと写真を撮ったのに、正門の映像が無い。
立派な庭の写真を撮りながら進む…誰もいなくて静まりかえっている
拝観料を払う所の手前で「あ、テレビで見たことある!」という場所に出た。
新TV見仏記では、結構参拝客でごった返していたが、小さな門みたいなのは無くなっているが確かに同じ場所だ。
入場チケット売り場には、新TV見仏記で多宝塔の横の扉を開けている人と同一人物…恐らく住職さんの奥様と思われる上品な方がいらっしゃって、境内の事などを親切丁寧に案内して下さった。
奥様は「多宝塔がガラス張りなので、今日の様に天気が良いと背景が映ってしまうので、紙で出来た双眼鏡の様なモノがあるので、それを使うとよく見えますよ」と教えてくれ、ガラスが光って見えにくい事をすまなそうにおっしゃるので「秋に上野でジックリ拝見するつもりです」と言うと「ああ、そうですね」と、笑っておられた。
…しかし、この山奥から上野まで国宝仏を運ぶって、宅急便も問題になっているけど運送屋は大変だなと思った。
境内に入ってみるがガラガラに空いていて、奥様も「今日は貸し切り状態なので、ゆっくり見て下さい」と言ってくれた。
本堂前まで行くと、同年代のオッサン2人組がいて「シャッターを押して下さい」と言ってきたので写真を撮った…見渡すと俺を含めて3人しかいなかったので、シャッターを押してくれる人が来るのを待っていた感じだった。
友人と見仏旅行って最高だなと羨ましかった…しかし、凄く良いカメラだった。
静まりかえった境内を歩く…。
本殿の横には2棟の社殿があり、春日造社殿の現存最古の例として国宝に指定されているそうだ。
靴を脱いで本堂に上がる…本堂の中は監視の人も誰もいなくて、俺1人で見て回った。
本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代後期の作らしく藤原文化の特徴があり、状態が良く金箔も残っていて綺麗だった。
宝相華唐草模様の光背や蓮華座も素晴らしく、円成寺が並の寺じゃ無かった事を物語っていた。
本堂内にある物販置き場に円成寺の写真集みたいなのがあったので買おうと思うが誰も居なかったので、帰りに奥様から買った。
そして多宝塔。
教えていただいた紙製の反射避けみたいなのを使うと、中の大日如来がよく見えた。
これと同じ反射避けを奈良県斑鳩町にある法起寺の収蔵庫にも置いてもらえないかな、あそこもガラスが光って十一面観音菩薩立像や愛染明王がよく見えない。
ガラス越しに見た運慶の最初期の大日如来は…俺の中で期待が膨らむだけ膨らんでいたんだけど、その期待を裏切らない見事な仏像だった。
円成寺は、奈良市の観光エリアから離れたところにあるので、行けそうで行けなくて、ずっと憧れの寺で…俺は大日如来がある多宝塔のガラスに張りついて「これを見に来たんだ!」と心の中でため息をついていた。
「うわぁ~」という声が自然に出たけど、先ほどの2人組みも帰ったみたいで、周辺に誰も居ないので驚嘆の声を止めなかった。
やはり、興福寺北円堂で見た弥勒如来と同じで、写真と実物は違って見えた。
俺みたいなのが生意気に稚拙な知識でアレコレ語るより、こういう世界的にも滅多にない人類の傑作に対して凡人は、黙って伏せ拝むしか無いんだと思う。
ただ、興福寺北円堂の弥勒如来と比べると、円成寺の大日如来は若さのエネルギーというか、勢いが感じられる…逆に言えば弥勒如来は円熟している。
恐ろしいのは、短時間で両仏像を見た印象として、運慶晩年の作の円熟の極みな弥勒如来を見た後で、最初期の大日如来を見ても、未熟とか未完成という隙が無くて完成されている…上手く纏めるのでは無く、当時の状況からすれば斬新な事を生き生きと大胆に取り入れているんだと思う。
運慶は最初からスロットル全開で、最初から既に完成されていたと思った。
これは天才というか…天才というのも努力で生み出されるのであれば、これは人間の尺度では計れない「神の領域」だと思った。
しかも鎌倉時代は快慶もいたとなると、人類はDNAのコピーを重ねることで劣化しているんじゃないか?と思ってしまう。
多宝塔のガラスに張りついて見た大日如来はどこまでも運慶で、やはり俺はどうしようもなく運慶が好きなんだなと改めて痛感すると同時に「これは…上野は混むな」と覚悟した。
先が思いやられるけど、皆…良いモノはよく知ってるからね。
帰り道、車を運転しながら予定を変えて円成寺に来て良かったと思った…良く判らないが「来なければならなかった」と思った。
今回の仏像探訪旅行は、北円堂の運慶作の弥勒如来→興福寺仮講堂の康弁作の天燈鬼・龍燈鬼→奈良国博の快慶展、そして円成寺の運慶作の大日如来と、偶然だけど慶派仏師の作品を辿る超贅沢な旅になった。
5月の強い日差しの中に浮き上がった新緑の青が目に痛かった。。
ひっそりと静まりかえった古寺に佇む大日如来を見て、俺は無限の空間と時間の広がりを感じた気持ちになった。
早くも秋の「運慶展」が待ち遠しくなったのだ。
今回の見仏旅行「車で移動編」では、普段行けない寺や、車を使わないと行くのが厳しそうな寺に行こうと計画していた。
予定では京都は木津にある浄瑠璃寺に行く予定だったんだけど、興福寺の北円堂で晩年の運慶の弥勒如来を見てしまったので、まだ目に焼き付いている間に運慶最初期の大日如来がある円成寺に行きたくなったので予定を変更した。
円成寺は奈良市から柳生に向かう山道の途中にある。
地図で見たときの印象よりも山奥だった。
カーナビを頼りにドンドン山道を進んでいると「目的地周辺です」というコール。
え? 通り過ぎたかな?とUターンして、空き地っぽいスペースに車を止めた。
何処にも何の案内も無い。
ただバス停の横に缶コーヒーの自販機が、不自然に目立ったので「やはりここなのかな?」と…。
小さな門はあるんだけど、何も書かれていないが…他に入り口は無さそうなので入る。
立派な庭にある池の向こうには「わらび餅」と書かれた登りが立っている。
これは東京に戻ってGoogle地図のストリートビューで確認すると、もっと手前に「うどん・そば」というのぼりが立っていて、そこが正面入り口だったみたい。
どうやら俺はみうらじゅん・いとうせいこうさんの新TV見仏記の映像とは違う、裏門から入ってしまったようだ。
せっかく動画を作ろうと写真を撮ったのに、正門の映像が無い。
立派な庭の写真を撮りながら進む…誰もいなくて静まりかえっている
拝観料を払う所の手前で「あ、テレビで見たことある!」という場所に出た。
新TV見仏記では、結構参拝客でごった返していたが、小さな門みたいなのは無くなっているが確かに同じ場所だ。
入場チケット売り場には、新TV見仏記で多宝塔の横の扉を開けている人と同一人物…恐らく住職さんの奥様と思われる上品な方がいらっしゃって、境内の事などを親切丁寧に案内して下さった。
奥様は「多宝塔がガラス張りなので、今日の様に天気が良いと背景が映ってしまうので、紙で出来た双眼鏡の様なモノがあるので、それを使うとよく見えますよ」と教えてくれ、ガラスが光って見えにくい事をすまなそうにおっしゃるので「秋に上野でジックリ拝見するつもりです」と言うと「ああ、そうですね」と、笑っておられた。
…しかし、この山奥から上野まで国宝仏を運ぶって、宅急便も問題になっているけど運送屋は大変だなと思った。
境内に入ってみるがガラガラに空いていて、奥様も「今日は貸し切り状態なので、ゆっくり見て下さい」と言ってくれた。
本堂前まで行くと、同年代のオッサン2人組がいて「シャッターを押して下さい」と言ってきたので写真を撮った…見渡すと俺を含めて3人しかいなかったので、シャッターを押してくれる人が来るのを待っていた感じだった。
友人と見仏旅行って最高だなと羨ましかった…しかし、凄く良いカメラだった。
静まりかえった境内を歩く…。
本殿の横には2棟の社殿があり、春日造社殿の現存最古の例として国宝に指定されているそうだ。
靴を脱いで本堂に上がる…本堂の中は監視の人も誰もいなくて、俺1人で見て回った。
本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代後期の作らしく藤原文化の特徴があり、状態が良く金箔も残っていて綺麗だった。
宝相華唐草模様の光背や蓮華座も素晴らしく、円成寺が並の寺じゃ無かった事を物語っていた。
本堂内にある物販置き場に円成寺の写真集みたいなのがあったので買おうと思うが誰も居なかったので、帰りに奥様から買った。
そして多宝塔。
教えていただいた紙製の反射避けみたいなのを使うと、中の大日如来がよく見えた。
これと同じ反射避けを奈良県斑鳩町にある法起寺の収蔵庫にも置いてもらえないかな、あそこもガラスが光って十一面観音菩薩立像や愛染明王がよく見えない。
ガラス越しに見た運慶の最初期の大日如来は…俺の中で期待が膨らむだけ膨らんでいたんだけど、その期待を裏切らない見事な仏像だった。
円成寺は、奈良市の観光エリアから離れたところにあるので、行けそうで行けなくて、ずっと憧れの寺で…俺は大日如来がある多宝塔のガラスに張りついて「これを見に来たんだ!」と心の中でため息をついていた。
「うわぁ~」という声が自然に出たけど、先ほどの2人組みも帰ったみたいで、周辺に誰も居ないので驚嘆の声を止めなかった。
やはり、興福寺北円堂で見た弥勒如来と同じで、写真と実物は違って見えた。
俺みたいなのが生意気に稚拙な知識でアレコレ語るより、こういう世界的にも滅多にない人類の傑作に対して凡人は、黙って伏せ拝むしか無いんだと思う。
ただ、興福寺北円堂の弥勒如来と比べると、円成寺の大日如来は若さのエネルギーというか、勢いが感じられる…逆に言えば弥勒如来は円熟している。
恐ろしいのは、短時間で両仏像を見た印象として、運慶晩年の作の円熟の極みな弥勒如来を見た後で、最初期の大日如来を見ても、未熟とか未完成という隙が無くて完成されている…上手く纏めるのでは無く、当時の状況からすれば斬新な事を生き生きと大胆に取り入れているんだと思う。
運慶は最初からスロットル全開で、最初から既に完成されていたと思った。
これは天才というか…天才というのも努力で生み出されるのであれば、これは人間の尺度では計れない「神の領域」だと思った。
しかも鎌倉時代は快慶もいたとなると、人類はDNAのコピーを重ねることで劣化しているんじゃないか?と思ってしまう。
多宝塔のガラスに張りついて見た大日如来はどこまでも運慶で、やはり俺はどうしようもなく運慶が好きなんだなと改めて痛感すると同時に「これは…上野は混むな」と覚悟した。
先が思いやられるけど、皆…良いモノはよく知ってるからね。
帰り道、車を運転しながら予定を変えて円成寺に来て良かったと思った…良く判らないが「来なければならなかった」と思った。
今回の仏像探訪旅行は、北円堂の運慶作の弥勒如来→興福寺仮講堂の康弁作の天燈鬼・龍燈鬼→奈良国博の快慶展、そして円成寺の運慶作の大日如来と、偶然だけど慶派仏師の作品を辿る超贅沢な旅になった。
5月の強い日差しの中に浮き上がった新緑の青が目に痛かった。。
ひっそりと静まりかえった古寺に佇む大日如来を見て、俺は無限の空間と時間の広がりを感じた気持ちになった。
早くも秋の「運慶展」が待ち遠しくなったのだ。
2017-05-15 23:00