TOKYO CRUISEと浅草 [旅行記]
涼を求めたら暖を得た
最近暑くなってきたので、旅仲間のKさんと船に乗ろうという事になった。
浅草からTOKYO CRUISEの船に乗って、隅田川~東京湾辺りの潮風で優雅に涼もうという計画。
Kさんとは、江ノ島探索以来なので久しぶりだった。
俺は仕事の夜勤明けなので、早朝の秋葉原から出発!
浅草に向かうのに、東京メトロ銀座線の末広町駅から地下鉄で行くことにした。
待ち合わせの時間まで結構時間があるので、神田明神に寄ろうと思ったが既に気温が上昇していたので、駅を目指す。
この日は近畿~東海地方は梅雨明けとなり、東京も真夏の様な猛暑日だった。
中央道を蔵前橋通りまで歩いて末広町駅に到着。
ゆっくりこの付近を歩いたのは何年ぶりだろうか…昔、まだ秋葉原がパソコンの街だった頃は良く来ていたけど、最近は秋葉原駅周辺だけで、最後に蔵前橋通りまで行ったのは10年以上前だったと思う。
昔ソフマップの店だったのが、全てアキバオーに変わっていたが、まだどの店も開店前で静まりかえっていた。
とりあえず駅のホームにあるエアコンの前で身体を冷やした。
銀座線の終点駅の浅草に到着。
駅を出ると金ぴかの御神輿が飾られていて、その前で何か勘違いしている中国人の観光客の団体が手を合わせて拝んでいた…神輿を浅草寺の仏像の続きだと思っていた様だ。
地上に出ると、既に茹だるような暑さで、ホテルをチェックアウトした外国人観光客でごった返していた。
浅草寺も、仲見世の方はまだ早朝で閉まっていたので静まりかえっていた。
普通は金剛力士像の阿吽なんだけど、浅草寺の場合は風神と雷神なので雷門という。
俺は浅草寺の雷門は風神がカッコ良いと思う。
反対側も良いんだけど、奈良の仏像を見慣れているので、ピカピカに新しすぎるのが少し残念。
いずれにせよ、東京を訪れた外国人観光客が手軽にオリエンタルな雰囲気を得られる場として、浅草寺はうってつけ。
既に次から次へと記念撮影の輪が途切れなかった。
暑いので、とりあえず仲見世通りの一本横にある新仲見世通りという商店街を抜け、立派なトイレの前にある休憩所に駆け込んだ。
ここは、よくマラソンで見かけるミスト散布があるので、涼しい。
少し涼んだ後Kさんと落合い、暑いので喫茶店に逃げ込む。
色々近況などを語り合ったりして、いよいよTOKYO CRUISEのチケットを買いに乗り場に向かう。
お台場行きは東洋系外国人旅行者の列でごった返していたので、日の出桟橋往復のチケットを購入。
速攻で乗り場方面に行くと先に1人いるだけで、我々は2番乗りだった。
座席数が1階が178、2階が170、ベンチが36という巨大な「リバータウン」というカッコ良い船。
とりあえず行きは2階席で潮風を満喫し、戻りはエアコンの効いた1階席にしようという事になった。
しかし、天気が良すぎて透明の屋根が温室効果で異様に暑かったので2階はガラガラ…。
仕方がないのでビールを呑むと、更に暑くなった。
船は思ったよりスピードが出て、全くといって良いほど揺れなかった…これで船酔いする人はいないと思う。
我々は船に乗りたいだけで、特に何処かに行きたいとかは無いので、片道40分のクルーズは丁度良い感じだった…それより長ければ退屈だし、短ければ物足りなかったと思う。
驚いたのは、乗り場のある浅草の隅田川で既に磯の香りが漂っていた事で、海水と淡水が混じっていると思った。
普段見慣れている神田川は、船からの目線だと新鮮だった…隅田川との合流地点は屋形船が沢山あって、頑張ってるな!って思った。
戻りコースでは浜離宮に寄り、そこから大勢の観光客が乗ってきた…白人の旅行客が多かった。
レインボウブリッジやお台場のフジテレビなどがよく見えた。
我々は計画通り1階に移動した。
冷房が良く効いていて快適で…最初からここにすれば良かったと思った。
充分に船のクルーズを満喫して、浅草に到着。
とりあえず昼食にしようという事になり、浅草で有名なお好み焼き屋さんの「染太郎」に行くことにした。
到着したのが11時40分頃で、炎天下の中既に何人か並んでいた。
開店を待っている客は、大半が外国人旅行客で、白人と東洋人が半々で、白人は外で行儀良く大人しく待っていたが、中国人は中に入って店員に並ぶように言われて追い出されていた。
店に到着して後悔したのは、この店には冷房が無く扇風機が回っているだけ。
どうしようか?と思ったが、結構浅草駅から遠くて、キョロキョロ観て歩く観光客を掻き分けてやっとたどり着いたので、変更するのも面倒で入ることにした。
店の中は想像通りの、灼熱地獄だった…。
とりあえず冷えたビールをガンガン呑んだり、冷やしトマトをかを喰うも、全く効き目無し!
鉄板の前に座ると体感温度は50度近くあったと思う…サウナに入ったときみたいに、あっと言う間に全身が吹き出した汗でびしょ濡れになった。
また、客が自分で作るコンセプトなので、鉄板から逃げられず、何もかもが熱くて大変だった。
お好み焼きを自分でひっくり返したのは何十年ぶりだろうか…。
肝心のお好み焼の味だけど、これは昭和の「東京のお好み焼き」だった…「これが日本で人気のお好み焼きか!」と思って茹だる中で食べている外国人旅行客が凄く可哀想になった。
俺が東京に住みだした頃…今から30年程前の東京は、今の人は信じられないだろうけど、まだ関西と関東はハッキリと別物だった。
東京で関西弁が珍しい時代で、関西風お好み焼きもまだまだ珍しい食べ物だった。
当時、俺が大阪出身なので懐かしいだろうと気を利かせた仲間が、下北沢にある有名な関西お好み焼きの店に連れて行ってくれた。
店内は…当時でタバコが禁煙で、漫画の本などを読むのも禁止されていて、大阪では普通の食い物のお好み焼きが、フランス料理みたいに物々しく有り難い食い物の様に扱われていた…店員の態度も横柄で、値段もエライ高かった!
肝心の味が、全然関西風お好み焼きで無く、ただのメリケン粉とキャベツを混ぜただけだった…関西のお好みは山芋を入れるのでホットケーキの様にフワフワに膨れるが、ベショベショでソースも不味くて喰えた代物では無く、タバコが吸えないので一口喰って店を出た。
ただ、東京は東北とか北海道とか、より関西から離れている人も大勢住んでいるから、彼らには珍しいモノだろうから、そんなのを関西風として商売できたんだろう…大阪でそんなのを喰わせたら3日持たないと思った。
「浅草染太郎」さんのお好み焼きは、まさにそんな、まだ東京で関西文化が珍しかった時代の「東京のお好み焼き」だった。
お好み焼きが東京でも普通になった今では、西友清瀬店の地下食料品売り場で売られているお好み焼きの方が断然安くて美味しい…でも、今となってはそういうレトロなのも懐かしい味なんだと思う。
店内には昔~現在までの文化人や有名人のサインがずら~っと並んでいた。
当時の新しいモノ好きな文化人達は、見慣れないコテを使う「大阪風」で、自分で作って食べたりするのが新鮮だったんだろうね。
凄く残念なお好み焼きを、エアコンの無い我慢大会の様な灼熱地獄の中で喰ったが…味とか以前に、一刻も早く外に出ないと熱射病で倒れる…それしか無かった。
この店は懐かしい昭和の雰囲気があるので、真冬にお好み焼き以外を注文すると楽しいかも。
Kさんと別れ、浅草駅のトイレで、汗でビショビショのシャツから、持って行ったカラカラのシャツに着替えた。
帰りは浅草線に乗って東日本橋~
~馬喰横山から新宿線、市ヶ谷で有楽町線と、地下鉄を乗り継いで帰った。
そもそも今回の浅草行きは、涼を求めて企画したんだけど、結果的には暑さ・熱さとの戦いだった。
船で最初からエアコンの効いた1階を選んでいたらとか、昼食をエアコンの効いたドジョウの店とかにしていればかなり違ったと思うが、メチャクチャ過酷な1日だった。
極暖なお好み焼き屋でとどめを刺されたのだ。
2016-07-18 23:35