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昔撮影したUFO写真 [不思議]

中学生の頃の写真[カメラ]


昔に撮影した心霊写真を探す事から始まって、古い写真やフイルムをスキャナーでPCに取り込む作業に没頭している。

発掘作業で、記憶から消えていた写真が次々と出てきているんだけど、中学生の時に撮影したUFO写真が出てきた!
 
この写真の事は、当ブログか、その前身の「土支田銀河帝国」で紹介済だと思うが、改めて取り上げてみる。
  

今回の出来事はなにぶん昔の出来事なので、記憶が曖昧になり、過去記事と食い違う事があるかもしれないが…とりあえず書いてみる。



中学校に進学すると、小学校には無かった授業が出てくる…英語とかに加えて俺が通った中学校は、男子は「技術」という時間が出現した…女子は覚えていないけど家庭科みたいな授業だったと思う。

技術の授業は技術室という電気ノコギリとかがある木工所の様な部屋で、木を切って椅子とかを作っていたんだけど、その課題の中に「パネル製作」というのがあった。

パネルとは、角材と板で作ったプレートに、デカく引き延ばした写真やポスターなどを貼って壁などに飾るやつ。

それを作る事が決定した2年生の時に修学旅行に行った…場所は、日光~中禅寺湖~東京~箱根とかだったと思う。

で、男子達が旅行先の土産物屋さんなどで探したのが、パネル製作で使うポスターだった。

俺は、日光の華厳の滝近くの土産物店で滝のポスターを見つけたので、買おうとしたら店のオバサンが「これは売り物ではない」というので、よく見ると滝から落ちている水しぶきの中に何個もの顔が浮き出ている心霊写真だった!

それは写真を引き伸ばしたのでは無く、ポスターとして作られており、制作中は気がつかなかったのかも知れないが、言われてみればナントナクそう見えなくもないというアヤフヤなのでは無く、心霊写真に否定的な奴が見ても即座にひれ伏す程ハッキリと写りまくっていた。

でも、俺はその後も旅行先で探しまわるのが面倒なので、売り物の華厳の滝のポスターを買って、それでパネルを作った…上手く貼れなくてシワになったのを覚えているが、長い間俺の部屋の壁に飾っていた。
 

当時は、俺の実家の玄関の壁に父親がSLのパネルを飾っていた…白黒の写真で、雪の中を蒸気機関車が走っていて俺のお気に入りだった。

学校でパネルの作り方を習った俺は、自分でもSLのパネルを作りたくなった…そんな時JR奈良駅、当時は国鉄奈良駅にSLが来ているという話を耳し、カメラを持って撮影しに行くことにした。

当時の関西線は時々記念走行などでSLが走っていた。

父親のカメラに白黒のフイルムを入れて奈良駅に行ったんだけど、SLは遠い場所から動かなかったので望遠レンズなんて持ってないので、SLは小さくしか写らなかった。
 
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せっかく奈良駅まで行ったので撮れるだけ撮って地元に戻り、いつも仲間達と下校時に遊んでいる川の土手を通りかかった。

数人の仲間が遊んでいて、その中の1人がある空き家にライフル銃みたいな銃があるという話をした。

見に行こうと言うことになり、空き家に忍び込んで出てきた銃を撮影し、同級生の「きむやん」が…特に深い意味はないが銃を橋から川に投げ捨てた。
 
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川に投げ捨てられる銃を撮ったりしていると…その川沿いにある高圧電線の上に1機のUFOが滞空しているのを、仲間が発見した。
 
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皆大騒ぎになり、俺が持っていたカメラで撮影しようとするんだけど、肉眼ではよく見えるUFOが、カメラのファインダーごしには全く見えない。

SLやら銃やらを撮影したので、フイルムの残りが少なくなっていて失敗出来ないので、UFOが浮かんでいる方向が判るように仲間に指さしてくれと頼んだ。
 
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カメラ越しにはUFOが見えないし、仲間が指さす方向にカメラを向けて撮影した…数回シャッターを押すと、フイルムが終わりになってしまった。

現像してみると、UFOが写っている写真が1枚だけあった…望遠レンズなど無いカメラなので、凄く小さいが写っていた。
 
不思議なことに、続けて撮影した後の数枚の写真は、同じところを撮っているので同じように写っているはずなんだけど、全く写っていなかった。
 

…そして時は流れ、今はパソコンで画像ソフトが使える時代になった。

そこで、UFO写真をスキャナーで読み込んで、レベル補正など色々な機能を使ってみた。
 
まず、UFOが写っている部分を切り抜いて拡大すると、こんな感じになる。
 
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この部分をAdobeのPhotoshopで開いて「レベル」を変更すると、 UFOがクッキリと立体的に浮き上がった。
 
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当時の俺がUFOに関してどれだけの知識があったのか?だけど、俺にはその頃の記憶が曖昧になっているので、少し調べてみた。
 
当時の俺のUFOの知識といえば、全てが矢追純一さんからの情報だった。
 
しかし、テレビ放送の「矢追純一のUFOレポート」は、MJ-12などから有名になった印象がある。
 
UFOの最初の大きな事件である「ロズウェル事件」も、事件が起きたのは1947年だが、再注目されて世界中に知れ渡ったのは1980年で、矢追さんがテレビで取り上げたのはこの後になる。
 
しかし、それ以前の70年代のUFOの情報も矢追さんが細かく紹介していた。
 
例えば手元にある1978年製の矢追さんの「写真で見る日本に来たUFOと宇宙人」という本では、日本のUFO遭遇事件としてはレジェンドになっている1972年に高知県で起きた「介良事件」を細かく紹介している。
 
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俺も、いつ何処で知ったのか?は忘れてしまったが、「介良事件」の事は知っていたので、テレビで放送されたのを見たんだと思う。
 
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だから、今回のUFO写真を撮影した時の俺も、UFOに関して全くの無知では無かったと思う。 
 
 
 
今回紹介したUFO写真を撮って以後、俺がUFOの話をすると興味深く聞いてくれる人もいたけど「絶対に嘘だ!」と怒りながらムキになって否定する人も大勢いた。

そういう人達に、この時の写真を見せると皆「本当だ、写ってる」って黙ってしまった…。

この手のUFO否定派の人達の特徴は、俺の話を根拠無く嘘と断定しておきながら、否定できない証拠を突きつけられても絶対にそれまで俺に対してとり続けた非礼な態度を謝らない事が共通している。

俺は自分が話したUFOの話で着せられた濡れ衣を晴らすために、わざわざ写真を持って行って見せなきゃならないのに、俺を嘘つき呼ばわりした奴は「あ、本当だ」で終わりだ。

そういう無礼な奴等に見せる度に、UFO写真は無神経に扱われて汚れて痛んでしまった…。
 
今回の写真は俺のUFO否定論者との戦いの歴史そのものだ。
 
今でもこの写真を見ると、当時の理不尽な戦いを思い出してやりきれない気分になるのだ。