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ラジコン模型の思い出 [ノスタルジア]

昔の写真[カメラ]


通勤で、駅で降りて職場に向かうまでの道で、ラジコン専門店を発見した。
 
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靖国通りです
 
 

いつもお店の前を通っていたのに、気づかなかった。

お店の隣がビルを建てる工事中で、作業を見上げていて気がついた。
 
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フタバは俺が最初に使ったプロポ!
 
 
 
まだ開店前だったので、薄暗いショーウィンドウの中には数々のラジコン模型が並んでいた。

飛行機にヘリ、車などが中心だった。

ラジコンはプロポと呼ぶ送信機と受信機~サーボモーターなどで動かすんだけど、俺が最初に使ったフタバというメーカーがまだ健在だった。

丁度今、昔の写真をスキャナーで取り込んで保存していて、俺がガキだった頃に撮影した写真も数は少ないがポツポツ出てきた。

ガキの俺が写っている写真は、8ミリフイルムの映画なども含めて実家に腐るほどあるんだけど、俺が撮影した写真は少なく、紙の写真は無くなっていて、主にネガフイルムから取り込んでいる。

もう何十年もスッカリ綺麗に忘れていたけど、写真を見ると思い出すんだから、人間の記憶って凄いと思った。


そんな中に、子供の頃熱中したラジコン模型の写真があった…。


最初は小学校の夏休みの工作で、ボートを造った事が切っ掛けだった。

自作でヨットを作ろうとしたんだけど、江戸時代の帆掛け船みたいなのとクルーザーの混合みたいなのになってしまった。

小さな手作りの船だったけど、最後に塗る塗料と、どうせならモーターと電池を積んで走らせようと思い、初めて模型店に行ってみた。

そこはラジコンのエンジン模型を中心に扱う店で、店内にはプラモデルに混じってエンジン模型のボートとかが並んでいた。

とりあえず部品を買ったんだけど、俺はすっかりお店に並んでいるラジコンに魅せられていた。



そしてラジコンボートをやりたいなという事になった。

もちろん子供の小遣いで出来る遊びでは無いのでスポンサーは父親で、俺たち親子は地元のラジコンマニアの中では有名だった。



まずは「地球堂」というメーカーだったと思うけど、ジャガーという名のパワーボート。
 
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懐かしいジャガー君! 船体中央部に排気ガスが上がっているのが見えますか?
 
 
 
こいつが、俺の初めてのラジコン・エンジン模型だった。

エンジンはエンヤの19BBの水冷という小さなエンジンで、BBとはボールベアリングの事だったと思う。
 
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スロー走行のジャガー君
 
 
 
フタバの3チャンネルプロポで、エンジンスロットルとラダーの2つを操作した。

撮影した場所は、近所のため池で、奈良盆地は水田が多いので、この規模のため池が多かった。
 
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近所のため池で走り回るジャガー君
 
 

大和郡山は金魚や鯉の名産地で、似たようなので鯉の養殖池があって、知らずにボートを走らせると「鯉が驚いて餌を食べなくなるので止めてくれ」と苦情を言われた。

奈良の水田用のため池は、水温が高くなると「菱」という浮き草が出るので、スクリューに絡まるから寒い時期しか出来ない。
 
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ネットで見つけた菱の池で、俺の近所のため池も夏場はこんな感じだった
 
 


次は、これも「地球堂」というメーカーだったと思うが…ジュピターというクルーザーの模型で、船体は馬鹿デカかった。
 
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快走するジュピター号
 
 
 
エンジンは良く覚えていないが、グローエンジンでは無く、草刈り機に付いている様な2ストロークのガソリンエンジンだった。

撮影場所は…奈良県と大阪府の県境にある「くろんど池」だったと思う…。


次は…記憶が曖昧なんだけど、確か「京商」というメーカーだったと思うが…パワーボート。
 
 

ボートは色々やったけど、写真に残っているのは少なくて、これが最後のボートだった…凄まじくパワフルだった。
 
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エンジン横に転がっている黒い筒がマフラーで、写真では取り外している エンジン右側には燃料タンクがある(フタを外している)
 
 

エンジンはイタリアのスーパータイガーの60水冷で、特注トランペットのビッグキャブレター、削りだしの軽量アルミフライホイール、特注のマフラーをニトロ30%の特殊燃料で2万回転近く回っていたと思う。
 
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これでみるとプラグの形状はOS、エンジンが回るとエンジンもヘッド部のみ露出するハッチでカバーされる、ハッチをロックするパーツが見える
 
 
 
ペラと呼んでいたスクリューも日本刀の様に研がれた特注品で六角レンチで脱却出来、何種類のペラを状況によって付け替えていた。

ラジコンボートもここまで来ると琵琶湖で無いと無理なので、琵琶湖独特の三角波の防水対策が大変だった。
 
エンジンが掛かると、全て脱着式のハッチでフタをして、波の中に突き刺さっても水が入らない様にしていて、水に突き刺ささらないでジャンプすると、リミッターなんて無いので浮き上がって着水するまでに回転が上がりすぎてエンジンがヤケ切れたりしてしまう…如何に船体が浮き上がらない状態で水を吸わないかがポイントだった。
 

船体の後部は、受信機とトルクアップしたサーボ関係を積んでいるんだけど、エンジンの振動対策でネジ止めのアクリル板の中は完全防水、エンジンルーム内も入ってくる水を強制排除する為にポンプを付けている。

このボートを先行させて、後から本物のパワーボートに乗って追いかけるんだけど…何もかもが大がかりになりすぎて大変になってしまって、手軽に出来る飛行機に変えた。


ラジコン飛行機を飛ばし始めた時、俺は中学生になっていた。
 

飛行機は操縦が簡単な高翼機でエンジンが30とかの手軽なサイズから始めた。

送信機のアンテナの先にリボンを付けて風の方向を確認しながら、稲刈りが済んだ田んぼや大きな空き地でやるんだけど、着陸が難しかった。

慣れてくると次第に低翼機などの操縦の難易度の高い、スピードの出る機種に移行していった…俺は昔からスピードが出ないとダメみたい。

機体には俺の名前を順番に書いていて、このセスナモデルは第2号機。
 
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部屋が汚いのは実家の引っ越し時に撮影しているから
 
 
 
エンジンはOSの30、プラグはエンヤの3番を使っていたと思う、プロポはサンワという名前の4チャンネルで、エンジンコントロールとラダーとエレベーターの3チャンネル仕様だったと思う。
 
このスタイルの高翼機で操縦の基礎を覚えた…セスナは俺の練習機だった。
 
 

次は零戦で、手前の銀色のがエンジンが30位ので小さく、奥にあるのが大きい…確か60とかだったと思う。
 
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2機並んだ零戦
 
 
 
撮影した場所は大和郡山市にある広大な空き地で、某模型屋さんに出入りしているラジコン仲間達で草刈りなどをして飛行場を管理していた。
 
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ラジコン仲間達と中学生の俺 
 
 

最後に紹介するのは7号機で、競技用の低翼機で、パイロンレースと言ったかな…名前はうろ覚えなんだけど、宙返りとかの技を競うのでは無く、スピードを競うレースの専用機。
 
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操縦は難しかったので、余り飛ばさなかった
 
 
 
エンジンが19か20位の小型で、バルサの機体に特殊な布を貼って塗料も特殊だった。

凄く軽いので凄まじくクイックで速かった。

ラジコンは俺が高校に入学し、誕生日過ぎにバイクの免許を取って終わった…俺が免許証を父親に見せた途端、車に乗ってバイク屋に直行し、その後俺たち親子はバイクツーリング仲間の間で有名になった。


ラジコン飛行機の大半は墜落などでバラバラになったりで残っていないが、今回紹介した写真の3号機と7号機の他にも数機は、阪神淡路大震災の時まで実家の部屋の天井に吊して飾っていたが、地震の衝撃で床に落ちて壊れてしまい、今は実家に最初のラジコンボートのジャガーがあるだけ。
 
 
俺にとってのラジコンは、子供の頃の楽しい良き思い出そのものだ。
 
よく受験や就職でバンドを止めて、中年になって買えなかった憧れの楽器を入手してオヤジバンドをやる人がいるけど、俺は常にやりたいときにやりたいことをおなか一杯やってきたので、今ラジコンを見ても欲しいと思わない。 
 
 
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OSと書かれているということは、エンジン模型も扱っているのかも
 
 

通勤ルートにあるラジコン屋さんを見ると、子供の頃を思い出したのだ。