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モハメド・アリ [ボクシング]

ボクシング界のアイコン[パンチ]


偉大なチャンピオンがヴァルハラへ旅だった。
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
 

俺は幼少の頃からボクシング観戦が大好きで、もう記憶も曖昧になっているがアリ氏の試合も微かに覚えている。

俺の記憶ではアリが、ベトナム戦争反対でタイトル剥奪からの復帰辺りから、かなり話題になっていたと記憶している。

当時俺は無敵のジョージ・フォアマンのファンだった…ファンという程良く知っていたわけではなく、テレビの特集などでフォアマンの桁外れな強さに惹かれたんだと思う。

チャンピオンだったフォアマンにアリが挑戦した「キンシャサの奇跡」は、国際中継で見たと思う…ひょっとすると、その後放送されたのをリアルタイムで観たと思いこんでいるのかもしれないが、昔の事なので何もかもが曖昧。

俺はフォアマンを応援していたんだけど、結果はアリが勝った。

ただ、突然ガス欠で動きが悪くなり、ダウンしながらレフリーのカウントを冷静に聞いていたフォアマンがカウントアウトされたのは、今でも不自然だと確信している。

後のフォアマンも自伝で「自分のトレーナーから薬のような味のする飲み物を与えられた」と書いていて、ダウンしてもレフリーのカウントのギリギリまで立たずにスタミナを温存しろと指示されていて、フォアマンはそれを守っただけ。


アリはロープにもたれながら相手のパンチを腕でブロックし、相手が打ち疲れたところを逆襲する「ロープ・ア・ドープ」という戦術なんだけど、今のボクシングで同じ事は出来ないと思う…恐らくダウンを取られると思う。

蝶のように舞い蜂のように刺すと言われたけど、俺の知っているアリはロープを背にして半身で打たれ続けるイメージしか無く、結構良いパンチを貰ってグラついている事が多かった。

「驚異的に打たれ強い」というのが、当時の俺の印象で、やせ我慢戦法って感じで、あまり強いという印象は受けなかった。

こんなに打たれて大丈夫なの?と心配したが、後年受けたパンチの後遺症とも指摘されるパーキンソン病に冒され、やはりそうかと思った。


アリ氏はボクシングを代表するチャンピオンというだけで無く、アフリカ系アメリカ人公民権運動などリングの外でも戦った勇気ある人だった。

1976年、何故戦うことになったのかサッパリ判らないが「格闘技世界一決定戦」でアントニオ猪木と戦うために日本武道館のリングに上がった。

この時、俺の実家は立て替えの工事中で、家の前半分を壊して、俺たちは後ろ半分に住んで、前部分が完成するとそちらに移動していた。

連日大工さん達が大勢やってきていたので、俺が猪木VSアリ戦が始まる時に応接間にあったデカいテレビを庭側に移動させて皆で見た。

大勢でテレビを取り囲んでワイワイ言いながら試合を見ていたんだけど、いつまで経っても猪木がリングに寝たままなので、飽きて皆が仕事に散っていったのを覚えている…俺も期待からの反動で失望が大きく、最後まで観なかった。
 
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その後も世界の有名なタイトルマッチで、セレブとしてカメラに抜かれていたのを見た…病気のため、アトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火時と同じ感じだった。


1981年、トレバー・バービックに判定負けし引退、アリのコピーと呼ばれたラリー・ホームズの退屈な時代を挟んで1986年マイク・タイソンがアリを引退に追い込んだバービックを2ラウンドでKOしてチャンピオンになった。

タイソンの登場で、ヘビー級のボクシングはロープにもたれて打たせるとか、押し合ってのショートの撃ちあいとかから、中量級並のスピードの時代に変わる。

しかし、無敵と思えたタイソンも、ドンキングと組んでからは別人の様に雑なボクシングになり…最近ではビタリとウラジミールのクリチコ兄弟の驚異的な長期政権となり、アメリカのモノだったヘビー級のベルトがヨーロッパに渡って久しい。


ボクシングはヘビー級のチャンピオンがいないと盛り上がらない。

ラスベガスのリングに、アリ氏の様なカリスマの登場が待たれるのだ。