SSブログ

H.M.N 第2期〜4期 [My guitar & band history]

Vol.04-ハードロック・ギターサウンドの完成[イベント]


バンド形成の初期の段階は、例えば音楽の嗜好性とか、微妙な技術論なんかより、まず取り決めなくては始まらない事柄が多い。
だからH.M.Nは、俺がトリオでウィルリッヒ・ロートやフランク・マリノなどの「ジミヘン・フォローワー」をやりたくて3人で始めたが、バンドリーダーとしては、たった三人の意見を纏めるだけなので、バンド形成期の様々な取り決めが素早く円滑に運べたのが良かった。

当時は久保がギターからベースに変えて間がなかったし、俺もジミヘン・フォローワーなサウンドから、基本的なハードロック・サウンドに切り替えている時期だったので、リハーサルは試行錯誤の連続だった。

俺達が「手持無沙汰なボーカリスト」を気にせずにあれこれ試したり、演奏に集中できたのは収穫だった。

また、ボーカリスト捜しは続けながらも、何とかトリオで活動を続けられていたので、「歌える」ボーカリストが来るまで待つことが出来たのも良かった。
オーディションなんて大げさなモノでは無いけど、連絡を取り合ってリハに来て歌って貰っても「これなら俺が歌った方がまだまし」って思ってしまう人とはやらないで済む環境に居た。

しかし、実際ライブ活動を続けてみるとジミヘンしていたHMNのトリオ時代も、やはり厳しいモノがあった。

まず、毎回延々ギターソロをやるって事に疲れた…。

特にギターソロは他のメンバーは俺から合図が来るまでソロのバックで延々と同じリフの繰り返しだからつまらなかっただろうし、俺も延々俺のソロを誰かに聴いて欲しいというエゴがあった訳ではなく、ウリやマリノの様なエフェクトを駆使した壮絶なサウンドのギターが弾きたかった以外に特段深い意味なんて無かったから、最初の数ヶ月で俺の目的は達成してしまった。

これは俺がリッチー・ブラックモアに傾倒していた時と似ていた…その時も「キャッチ・ザ・レインボウ」となれば「ああ、また延々E、D、Cのコードに合わせて弾かなきゃならんのか…」とウンザリしていた。

最もギターサウンドを変えたいと思った原因は、持ち運ばなければならない機材の多さだった。
とにかく、フランク・マリノ風の音を出すために、毎回リハに持って行く膨大なエフェクターを担ぐのが苦痛になった。
「もうちょっと普通に、楽に出来るのをやりたい」って心底思った…。

つまり、当時の俺のバンドに対しての取り組むスタンスってその程度だったって事で、本人がそんな事を意識する以前に当たり前の感覚としてギターやバンドは「数多い趣味の1つ」でしかなかった…。

「何が何でもプロになってやるぞ!」というギラギラした『裏付けのない精神論』は大嫌いだったし、自分の実力がどの程度かは当時から冷静に判断していたから「特にこの時期」は、新しく購入したエフェクターをワクワクしながら試したり、ライブの後で仲間と呑んだりってのが「バンド活動の全て」で、身近には多くの生臭いプロ指向が大勢いて彼らのバンドに誘われもしたけど、彼らが熱く語る裏付けの無い夢物語は「そんな事言うても、俺メッチャ下手やん…」って白けていた。
 

そんな時に森本と知り会う切っ掛けとなった例の「天王寺の掲示板」でボーカルの吉田と知り合った。


H.M.N#1 第2期

「イアン・ギランが歌えるハイトーン・ボーカル」って事で加入だったけど、中域の声も素晴らしく、とても気に入ったのでUFOなんかのコピーも演奏した。
つまり、ボーカル加入と同時にそれまでギターが主で、歌は俺か久保の手の空いた方が適当に担当では無く、「歌モノ」を押し出す方法論を取り入れた。

081225.04.gif

ボーカリスト吉田の加入で4人編成になった

しかし、俺の機材はギターのセッティングも含め、まだジミヘン仕様からの過渡期で試行錯誤していた。

吉田の加入で、早速ジェンのクライベィビーの姉妹品「Mrクライベィビー」を購入した。
これは踏み込むとスイッチが入りワウになるが、もう一度踏む込むとボリューム・ペダルになり「歌バック時」には音量を下げ、ギターが主張したい時に踏み込むという事で音量にメリハリを付けた。

吉田は「ガッツ!」って感じの歌い方で、「俺が思うガッツ!」とは全然違ったけど、彼なりに格好良い歌の美意識みたいなのが明確にあって、思い切りの良いノリは「ベタカッコ良い」と思った。
上手く言えないけど訴えかけてくる説得力があったので、こいつになら歌を任せられるって安心した。
 
吉田加入で活発なライブ活動を続けるうちに、当時の俺達は何故か「よりheavyなサウンド」を目指し、やがてブラック・サバスを好んで演奏する暗く気怠い内向的自虐性を美徳とする方向に邁進する…今考えると若いのにジミヘンだのサバスだの、明るく楽しくKISSやQUEENやれば良いのに…年寄り臭いガキだったと思う。

俺達は当時のブラック・サバスのイメージに対して、誇大妄想というか、レコードのライナー等に書かれている馬鹿評論家共の「黒ミサ」だの「工業地帯に産まれたバンドだからあの鋼鉄サウンドが出せた」とかの戯言にまんまと乗せられ、それらを本気で信じ、陰に籠もる退廃的な姿勢こそ「ヘビー・ロック」の正しい姿で素晴らしい事なんだ!と真面目に勘違いしていた。

後に実際のサバスのビデオを観て、満面の笑みをたたえステージを飛び回る「明るく楽しい」OZZYを観て腰が抜ける程驚いたもんな…想像していたのと全然違った。

H.M.N#1 第3期

バイク仲間でテクノ系のバンドで弾いていた舟山がギターで加入してツインリードとなる。

明るいムードメーカーの舟山の加入で、暗く気怠い方向に邁進していた俺達は目が覚め、オリジナル曲制作に取りかかる。

舟山はキーボードも弾けたので、最初はサイドギターと兼任していたが、やがてリードギターに専念する。
この頃の俺の夢は「ジューダス・プリースト」みたいなバンドをやる事だった。

 

081225.01.gif

舟山の加入で5人編成になったH.M.N

…確かに吉田は実力派のボーカリストだったが、飛び抜けたウルトラCという「問答無用の技」が無かった。

吉田の歌に不満はなかったが、超高域のスクリーミングシャウト一発で全てを破壊するロブ・ハルフォードなんて歌える奴が居るはずも無く、当時パープルの「チャイルド・イン・タイム」を歌える吉田は充分ハイトーン・ボーカリストとして有り難い存在で、夢はあくまでも俺の中に仕舞っていた…。

舟山が加入したこの時期、遂に俺はハードロック・ギターに移行する事に成功した。

移行時の悩みの種は、やはりギターサウンドで、「ローランド/ビーバー」や「ダラス/ファズフェイス」などのファズ・サウンドに代わる歪み系エフェクトを探すのに時間が掛かったが、遂に理想的なエフェクターと出会った。

「マクソン D&S 2」だ!
D&Sも先に買って試したが、歪み方がファズっぽくて「古い音」だと感じイマイチだった。
D&Sがトランジスタを用いたディストーションなのに対し、D&S2はオペアンプを用いたオーバードライブで全然音が違ってきめの細かいシャープな歪みで、まさに「探していた音」で、メチャ気に入った。
それ以後、D&S2は手放せないエフェクターとなり、DEAEREの初期まで使う。

081226.01.gif

部屋をひっくり返して発掘した結果、出てきたナツカシのD&S 2君! 長年の酷使でボロボロだが…まだ健在だ!

081226.02.gif

今回の発掘作業でD&S 2と一緒に出てきたステレオボックス ウィルリッヒ・ロートを演るなら2台のアンプとこいつは必需品だ!

081226.03.gif

しかし…昔のエフェクターって存在感があってカッコ良いと思うのは俺だけかな?

5人編成になったバンドはライブ中心に活動を続けたが、やがて吉田が実家の都合で一時脱退しなくてはならなくなる事が決まり、俺は別の活動としてBritish Steelに加入する。

H.M.N#1のライブ活動は、最初のトリオでのライブ以後はアメリカ村では無く、ミナミのライブハウス「ゴーストタウン」などに進出、遠方では阪和線の東佐野や奈良県の大和郡山など幅広く遠征していた。

08122505.gif

H.M.N#1 第4期

吉田が抜けた後に舟山のバイト仲間のカツアキがボーカルで加入した。

この時は「仲間の集まり」的色合いが濃くなっていて、リハーサルには入っていたが、俺のBritish Steelでの活動が忙しくなり、H.M.Nはライブをやること無く活動停止となるが、敢えてこの時期を紹介したのは、British Steel解散後に復活したH.M.N#2に舟山がギターで、カツアキはマネージャーとして再び行動を共にするからである。

脱退した吉田と俺との関係はその後も良好で、HMN#2復活時には、まず吉田に声を掛けたが、既に別のバンドを活動中で、以後彼と再び組む機会は残念ながら無かった…。

また、この頃は様々な人達とセッション的にスタジオに入って混沌としており、特にどのバンドがメインの活動というのは無かったが、俺がリーダーで作ったH.M.Nだけは特別な思い入れがあり、「解散」では無く「活動停止」だった。

因みにH.M.Nは俺の中では、まだ活動停止で、解散させた覚えは無い。

(Vol.05に続く)

Doctor Doctor/UFO

 


■Vocal/Yoshida ■Guitar/Yokoyama ■Bass/Kubo ■Drums/Morimoto

演奏は未熟で、UFOをストラトで演っている所に限界があるが、UFOのコピーの出来云々より、俺は吉田の歌うこの曲が好きだったので良く演奏した。