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高校生の時の音楽-02 [バンド関係]

この季節になると思い出すのが学生の頃の文化祭
今回は、記憶を辿り、高校時代の演奏について回想してみる

(前回からの続き)

高校2年の文化祭は盛り上がった。
俺達がやった高1の爆音バンドが、全学年の極少数のコアなマニアに支持されたのか、2学期になると何処からと無く俺とやりたがる奴が声を掛けてきた。

俺は一年の文化祭以後更にリッチー・ブラックモアにのめり込み、USAフェンダーのストラトを購入、ピックアップを交換、アームを交換…等々、サウンドも含めて全てをリッチーに似せる事に没頭する。
ある時、仲間とセッションでスタジオに入ると、小さなエフェクターを繋いでいる。
それはBOSSのエフェクターだった。
俺も欲しい!と、速攻で楽器屋に行き、とりあえず買ったのがフェイザーだった。

こいつは単純にシュワシュワさせる効果しか出せ無いんだけど、リッチーには絶対不可欠な音。

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今でも現役でレコーディングで使っている初期型のBOSSのフェイザー、リッチーやるならこれでないとダメ!

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因みに一般的なフェイザー・サウンドは左の方が良い、イーグルスやジェイクEリー系は左を使う


次にローランドのエコーマシンを購入し、BeeBaaのトレブルブースター・モードで弾くと、リッチーとソックリのサウンドになった!
当時はリッチーのコピーのしすぎで運指癖まで同じだった。

しかし、2年生の文化祭前にはウリ・ロート先生やマイケル・シェンカーなど、次々と新しく俺が熱中するギタリストを聴いて、ちょっとリッチーは時代遅れって気分になっていた。
ってか、リッチーやジミー・ペイジなどの長々延々ギターソロというのは、本人は毎回アドリブだから何をやろうが自由なんだろうけど、それを「コピー」して「らしく」弾くにはとてつもない情熱とスタミナが必要で「凡庸で何って事無い」フレーズも含め「覚える」のが大変だった。
しかし、マイケルやウリは最初から決まった小節の尺の中で「凄いことのみ」を詰め込んでいた。
ウリのフレーズは、リッチー100パーセントの俺の指癖を取ることから始めなければ、どうにも攻略出来なかった程難易度が高かったし、今聴けば何て事無い音だけど当時の俺にマイケルのバッキングの音はショックだった。
また、極太のゲージで基本的なビブラートはアームで掛けるリッチーのセッティングは、他のギタリストのコピーで併用出来無い程特殊過ぎた。
つまりリッチー仕様のギターはリッチーをコピーする時しか使えない…その後、俺はリッチーのコピーを神の様に上手く出来る奴を何人も見かけたが、そういうのに限ってリッチー以外の曲はピンと来なかった。
俺なりに一年ドップリとリッチー研究を重ねて判った事は、何となくコピーするのであれば問題はない…でも「お!リッチーやん!」と言わせるには涙ぐましい研究と細かいアイデアの蓄積が無ければダメという事だった。

また、それまでにもジミー・ペイジとかハンバッカー・ピックアップの音は聴いていたが、ピックアップのサウンドというかギターの音色には何も感じなかったが、「ハンバッカーのギターが欲しい!」と思ったのはミハエル・シェンケルを聴いて、俺の中で「カッコ良い音」の概念がシングルからハムバッカーに替わりつつあった。
ハムバッカー搭載のギターを買うお金がなかったのと、リッチーと同じストラトを使うウリ・ロートにのめり込んだ…。
それほど「In Trance」や「Virgin Killer」は衝撃だった…完全にKOされた。
早速ギターでコピーだ!と思っても、リッチー仕様のギターでは弾けないから、ギターをノーマル方向に戻すことから始めた。

高2の文化祭では、俺は演奏のテクニックを追求する事うより見た目が派手なKISSをやりたかったが、結果再びレインボーなどのブリティッシュハードロックをやる事になる。
KISSはメンバーが見つからずに諦めた。
俺はスッカリスコーピオンズに没頭していて「今更何?」って感じだったけど、世間はど真ん中で日本中レインボー状態だった。

これも文化祭当日の実況録音が残っているので、紹介します。
RainbowのKill the King

この時期この曲は全国の高校の文化祭で演奏されたんじゃないかな

また、この年はツェッペリンを演奏するバンドにも所属していた。
情熱的には、このバンドが俺の高校文化祭バンドではメインだった。
レインボーバンドが文化祭に出るためのエリートの寄せ集めだとすると、こちらは仲間達との集まりだった。
こちらは学生会の委員を巻き込みライブ時間を長時間獲得、ライブ「永遠の歌」を再現する意気込みで結成したが、事前の打ち合わせ時は恐ろしい盛り上がりを見せたが、皆が口々に語る「夢」は実現出来るはずも無く、なぜかメンバーにギターが二人いたり、俺もストラトで演奏するツェッペリンという…訳のわからないイマイチ煮え切らない残念な結果に終わった。

また、リッチーの指癖ど真ん中だった俺が、ペイジのコピーを弾いてもリッチー風になってしまって、さまにならないのには自分でも愕然とした。

しかし、このバンドは大勢の仲間を巻き込んだ一大プロジェクトで、凄いレンズの一眼レフを持ったカメラ担当や、音響に詳しいやつがいて多量のマイクとミキサーを使ったライブ録音にも挑戦したが…結果は所詮田舎の高校生のやらかす事で、写真も大半がピン惚け、録音はメチャクチャと、事前の手間と打ち合わせに反比例して結果は悲惨と徒労で終わった…膨大なゴミだけが残ったって感じだったが、こういう大人数のプロジェクトを上手く運ぶには、強烈なリーダーシップを持った人材がいなければ夢の飽和に終わる。
でも、そこは深く考えない高校生のノリで、失敗も含めてあれこれ楽しかった記憶がある。

ま、高校生なんて膨大な夢の語り合いだ。

皆さんにも覚えはあるだろうが、何度教室で級友とギャル子様をゲットしに行く話を熱く語り合って「話だけに終わった」事か…。

高校生なんて全てに経験値が無く未熟だから「何をどうして良いか判らない夢」な訳で、知識が増えるに従って、それらは夢では無く「実現への手順」という具体性を帯びてくる。
そういう意味では、級友達と何をやるにしても「夢を語るだけ」で終わることが多い中、夢だけでは終われない「時間が来れば実際ステージで演奏しなきゃならない」のが文化祭だったと思う。
しかし、このツェッペリン・バンドはステージという「祭り」より、祭りの前の「壮大な夢」が楽しかった。

これは残念な事に、テープは残っているんだけど、録音がライン録音で、確か8チャンネル位のミキサーで沢山のマイクを立てて録音した為、音もバランスも滅茶苦茶で聞くに堪えない代物になっている…ボーカルが入ると歌以外何も聞こえなくなった…どうなるんだ?と楽しみにしていただけにテープを聴いてガックリしたのを覚えている。

これも演奏は聴けたものじゃないので、せめてドラムソロだけでも聴いて貰えればジョン・ボーナムになりきった演奏で、当時の我々が如何にZEPを追求しようとしたかの片鱗は判って貰えると思う。
という事で会場のラジカセでの空気録音版からLed ZeppelinのMoby Dick

文化祭バンドの厳しいところはボーカル捜し…演奏というより、ボーカルが入ると別の曲になるのでドラムソロが一番聴ける…それほどボーカルの人材が居なかった…体育館の入り口近くでラジカセで録音したらしく、巨大なホールで演奏している様なエコー感がある

(続く)