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年賀状の思い出 [ノスタルジア]

猛者K




ネットラジオで年賀状が話題になっていた。

俺の場合、年始の挨拶の大半ネット経由になってしまったが、年賀状と聞くと高校の頃近所に住んでいた同級生のKを思い出す・・・。

Kは中学は違うが、同じ高校で3年間で同じクラスになった事は無いが、1年の頃から一緒にバンドをやっていた。

ルックスは「マイ・シャローナ」一発で消えたザ・ナックのボーカルに似ていて、関東弁が得意で、森田健作の物まねが18番だった。

Kが歌って、俺がギター、ベースとドラムは近所に住んでいるんだけど、別の高校・・・俺やKより優秀な学校に通っていた。

最初はKの家に集まって、3コードとかでアドリブで遊んでいた・・・アンプはKが持っていて、ドラムは適当に漫画本なんかを叩いていたが、やがてロックバンドのコピーをやり出した。

文化祭シーズンが近づいていた頃に、ハードロックで文化祭に出ようと言うことになった。

当時の文化祭ハードロックバンドの定番はレッド・ツェッペリン、ディープパープルやレインボウとかKISSだったが、キーボードが必要になるパープルとレインボウは高嶺の花だった・・・メンバーが揃っても学校に機材を運ぶのが越えられない壁だった。

ツェッペリンもイアン・ギランも見あたらなかった・・・そもそもマトモに歌える奴がいなかった。

なのに、俺たちはQUEENをやろうという事になった・・・ボーカル担当のKが言い出した。

歌えなくてもプラントやギランは根性で頑張れば敢闘賞みたいな感じだけど、フレディーをやりたいという奴は居なかったので驚いた。

でも、俺たちが高校の頃のフレディーは、まだギリギリでハードロックボーカリストだったが、角刈りに髭、ホットパンツに裸足で腰手ぬぐいのフレディーでもKはやったかもしれない・・・Kは重度のQUEENマニアだった。

俺の高校では無く、ベース担当が通う高校の文化祭に出たんだけど、結果は練習不足で散々な演奏だったがKだけは上機嫌だった・・・一番酷かったのがKだったと思う。

そんな事があって、俺たちが高校を卒業するまで時々Kの部屋に集まって楽器を演奏していた・・・俺は母のYAMAHAのチャッピーという原チャリでKの家に行き、いつもKのギターを弾いていた。

高校卒業後もKとは時々楽器で遊んでいた・・・毎年来る年賀状には必ず「またバンドをやりましょう」と書かれていたが、結局ライブをやる事は無かった。

思うに、バンドはやりたいと思って出来るモノではない。

俺なんかは、昔からメンバー運が良いというか、多くの才能あるミュージシャン達とご一緒させていただいたが、高校の頃にKとやったQUEENのコピーバンドみたいなのでも、それが例え文化祭出演であってもたどり着くまでに幾つかの試練が待ちかまえている。

最近は年賀状と聞くと古くさいというか面倒というか、LINEでええやん!と思ってしまうが、年賀状だからこそ繋がっていた音信というのもあったと思う。

年賀状と聞いて、昔を思い出したのだ。