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アイルトンの思い出 [日々のあれこれ]

俺のカリスマ



「音速の貴公子」こと、天才F1ドライバーのアイルトン・セナの父ミルトン・ダ・シルバ氏が10月27日に94歳で主神オーディンの宮殿ヴァルハラへ旅立たれた。

ミルトン氏は、冶金会社で成功を収め、建設、農場、畜産などの分野への投資も行っていた実業家で、息子のモータースポーツへの強い情熱を理解し、キャリアを通して力強くサポートし続けた。

愛車に乗るセナ。


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愛車に乗る俺・・・隣は幼なじみの富川君。


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しかし、アイルトン・セナが亡くなってもう27年経った。

F-1GPは、中島悟氏がF1デビューする前は、レンタルビデオ店でその年のレースのダイジェスト版みたいに編集されたのを借りて見ていた・・・解説は当時から今宮さんだった。

1987年、中島悟がフル参戦すると同時にフジテレビで中継が始まり、日本はバブル景気に突入した。

サハラ砂漠のど真ん中にもスーツ姿の日本人商社マンがいるといわれた日本のバブルの勢いは最近の中国の進出より凄かった。

中国はアメリカにスマホがダメとか言われるレベルだが、日本のバブル期は全米各地で日本車がひっくり返されて燃やされていた。

セナがマクラーレンに移籍し、1989年から実況が古舘伊知郎が担当するとF1人気に火が付いた。

俺は全レースの実況に加え「F1ポールポジション」という古館さんと平子理沙さん今宮純さんがレギュラーのF1情報番組も全て録画していた。

録画もしていたが、レース毎に発売されていたF1専門誌も毎年全戦買いまくっていた。

やがてアナログ波時代の衛星放送WOWOWで、CMカット無しのフルタイム版も録画に加わったが、91年に本田宗一郎氏が亡くなり、92年にバブルがはじけてホンダがF1撤退を表明、94年ウィリアムズ・ルノーへ移籍したセナが5月に行われた第3戦サンマリノGPで亡くなってしまった。

当時、今宮氏や三宅さんをはじめとするアナウンサーや解説の川井氏達は、それでもF1を追い続けるみたいな雰囲気だったが、セナファンの俺は一気に熱が冷めてしまい古館さんと一緒にF1を卒業した。

F1ブームの頃は渋谷などにF1専門グッズのショップがあって、フェラーリのスポンサーだったイタリアの石油メーカー「アジップ」のTシャツとかを買っていた。

セナのグッズで宝物は、ブラジルから輸入したセナの死後消滅した「ナシオナル銀行」の青いキャップ。

他にもセナの友人でホンダF1総監督だった桜井淑敏さんがホンダを退社されてRCIを設立された頃に発売された物販も宝物だ。

ただ、セナが亡くなった日から宝物は見れなくなってしまったのだ。