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円空仏との出会い [寺社・城・仏像・ミュージアム]

法隆寺秘宝展~松尾寺特別公開[カメラ]

実は去年、この記事を書こうと思って色々調べたりしていたんだけど、調べれば調べるほど本格的になってしまって膨大な超大作になり、ブログ記事としては非常に退屈なモノになってしまった。

ネットの中には俺なんかよりも仏像に詳しい専門家が沢山いらっしゃるので、頑張って書いたんだけど「こんなの誰も読まねえな…」と、途中から記事の大半を削除して簡単に纏める事にしたものの、仕上げるのが面倒で放り投げていて今に至ってしまったが…実は去年の秋、奈良で円空仏との不思議な出会いがあった…



俺は日曜日の夜にEテレで放送されている「日曜美術館」を毎週楽しみに見ているんだけど、番組司会の井浦新さんが各地を旅して円空の秘密を探るのを見て非常に興味を持った。

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円空とは江戸時代前期の仏師であり歌人の修験僧…ホラ貝を吹く山伏だったようだ。

山伏が信仰する「修験道」とは、日本古来の山岳信仰と仏教のハイブリッドで、山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的としている。

仏師円空は北は北海道、南は奈良県まで旅先で仏像を残しており、「円空仏」と呼ばれる木彫りの仏像は、荒々しい姿でありながら穏やかなほほ笑みをたたえているのが特徴で、生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定されている。

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その円空仏が法隆寺にあるとは知らなかった。


2016年の秋、俺は毎年出かける寺社仏閣・仏像探訪旅行で、宇治平等院に行った

早朝に出かけたので、昼過ぎには奈良に戻っていたので、昼ご飯を食べようと富雄川を南に向かって車を走らせていた。

特にコレと言った店が見あたらず、車はいつの間にか大和郡山を抜けて斑鳩町に差し掛かっていたので、そのまま法隆寺に立ち寄る事にした。

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修学旅行の観光バスが出入りする中、土産物屋の有料駐車場に車を入れ南大門に向かった。

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南大門の横に「法隆寺秘宝展」の案内が出ていた。

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いつもは南大門をくぐると中門とその奥にある五重塔などが、絵はがきの様な絶妙な景色で飛び込んでくるんだけど、今回は仁王像が立つ中門が修復工事中でカバーが掛けられていた。

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工事は平成30年まで続くらしい。

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秘宝展が行なわれている大宝蔵殿に向かう…。

秘宝展は中倉と南倉で行なわれていた。

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俺の記憶が曖昧だけど、まだ「百済観音堂」が出来る前は、建物はコンクリート製だったけど、今とは別の倉庫みたいなところに百済観音とかがあったが、今思えばあれが北~南倉だったのかもしれない。

中に入ると、これまで数え切れないほど法隆寺に来ているけど一度も見たことが無い色々なモノが並んでいた。

法隆寺は廃仏毀釈の頃に貴重な寺宝300件余を皇室に献納、それらは現在東京国立博物館法隆寺宝物館にあるんだけど、それ以外にもまだこれだけの秘宝が法隆寺にあったのかと驚いた。

特に昔の一万円札の唐本御影という両脇に2人の王子と並んで立つ聖徳太子の御物の絵は、最近聖徳太子は実在しなかったという説もあるので興味深かった。

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聖徳太子の実在云々の事は大山誠一氏の本を斜め読みした位だけで詳しく知らないけど、俺なんかには太子の存在がビンビン感じられた。

歩を進めていると、チケット購入時に配られたパンフレットの表紙の円空作の大日如来像があるのに気がついた。

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俺なんかの感覚では、法隆寺は修験道とは真逆の方向だと思っていたので意外で驚いた。

その後、東京に戻って調べたところ、法隆寺の円空仏は128世管主であった高田良信長老が1974年に住んでいた宗源寺という法隆寺の子院の須弥壇の奥で、高田さんの奥様が作りかけの大日如来像を見つけた。

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奥様の実家もお寺だったので「これ、円空さんと違いますか」と判ったらしい。

しかし、法隆寺には記録が無いので円空仏があるはずはないと思っていたところ、ある研究家が「円空が法隆寺で勉強したという記録があるので教えてほしい」とやって来て、謎の大日如来は円空作で、法隆寺の北にある松尾寺にも円空が来ていた事などが判ったらしい。


俺は法隆寺秘宝展を見終えた後、そんな事も知らずに松尾寺に向かった…特に何の目的も無く、せっかく法隆寺まで来たんだから帰りに寄ろうと思っただけで、円空仏に引き寄せられるように松尾山に車を走らせた。

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北惣門から入る。

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閼伽井屋で不老長寿の「松尾水」をグビグビ飲み、本堂まで階段を上る。

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観光客は俺1人だけで、境内は静まりかえっていた。

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日本書紀を編纂した舎人親王が創立した松尾寺は日本最古の厄除霊場なので、厄除けのお守りを買おうと思っていると「宝蔵殿公開中」と書かれている張り紙が目に入った。

お守りを買いながら「宝蔵殿もお願いしたいのですが」と聞きながら拝観料を払うと、受付の男性が内線電話で「今、男性の方1名です」と連絡をしてくれた。

その場で待っていると、若いお坊さんが現れ鉄筋コンクリートで出来た宝蔵殿に案内してくれた。

入り口の扉は閉まっていて、俺1人だけの為に宝蔵殿を開けてくれた。

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若いお坊さんは照明のスイッチを入れながら、これまで絶対秘仏に近かった秘仏の「千手観音像トルソー」を紹介してくれた。

焼けて胴体だけになってしまっても美しいと、随筆家の白洲正子さんが「十一面観音巡礼」で絶賛されたので有名になった事はかろうじて知っていたが、まさか拝見できる展開になるとは思っていなかったので、目の前で本物のお坊さんの解説が独占出来る嬉しい展開になるなら、ディアゴスティーニの古寺・仏像DVDでも見て予習してくるべきだったと悔やんだ。

丁寧な案内の合間に質問をしたりしながら、宝蔵殿の中を歩いていると、視覚に役行者像が飛び込んできた。

円空仏だった…。

円空仏といえば荒削りなイメージがあるが、凄く繊細に作られた役行者小角像は両側に鬼を引き連れて微笑んでいた。

「この両側にいるのは邪鬼ですか?」と聞くと「鬼の夫婦です」と教えていただき、東京に帰ってから調べると善童鬼と妙童鬼という名前の鬼らしい。

俺は「円空仏は、先ほど法隆寺で見てきたばかりです」と驚いた…円空仏に彫られている日にちの文字が読みにくく「間違って読むと歴史が変わる程重要な時期に作られたものです」と説明していただいた。

松尾寺は修験道当山派の拠点としても栄えたので、松尾寺に円空仏があっても不思議ではないのかもしれない。

思わぬ円空仏の連続で、大満足で松尾山を下りた。

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しかし、あの日何故法隆寺に行こうと思ったのかも判らないし、その後松尾寺に行ったのも偶然。

円空仏のほほえみとアルカイックスマイルに引き寄せられた様な、不思議な見仏旅行だったのだ。