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ジョニー・ウインター [音楽]

100万ドルのギタリスト逝く[もうやだ~(悲しい顔)]



ジョニー・ウインターさんが亡くなった…ご冥福をお祈りする。

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また一人、偉大なミュージシャンがヴァルハラへ旅だった…ホント、長生きしたって楽しみがないね。

俺とジョニー・ウインターとの出会いは、高校の頃。

音楽雑誌など全く読まなかった俺は、好きな音楽ジャンル意外の事は何も知らなかった。
当時の俺はハードロック一色に染まっていた。

今振り返ればこの時がハードロックという音楽ジャンルの「全盛期」だったね。
次々来日する「全盛期の外タレ」のほぼ全てのライブを観に行った。

そのせいか、今馬鹿高いチケットを買って観に行きたい来日アーティストは見あたらない…俺が好きだったアーティスト達はもうとっくに旬を過ぎたヨボヨボだ。

だから、あのとき一番良い時期の彼らを見ておいて良かったと心底思う。

そんなハードロック以外鎖国状態だった俺にも、江戸時代の長崎の出島みたいな入力インプット端子があった。

同級生のS君だ。

S君はロック好きだったけど、俺とは少し好みのジャンルが違っていた。

その当時ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンなどのハードロックが落ち目になって、新しく台頭してきたのがセックス・ピストルズを筆頭とするパンクバンドだった。

俺もシャツに安全ピンを付けまくってパンク・バンドを結成してスタジオに入った…そのバンドのボーカルがS君だった。
俺はピストルズは大好きだったけど、やがてパンクというジャンルに明確な音楽的な様式があるわけではない事を知った俺は、ハードロック方向に戻っていく。


しかしS君とのつきあいはその後も続いた。

休日になると、俺はバイクに乗ってS君の家に遊びに行く事が多かった。

今GOOGLEの地図でS君の家を確認しようとしたがよくわからなかった。

大和高田と大和八木の中間あたりだったと思うので、恐らく俺の当時の実家から約15km程離れたS君の家まで遊びに行っていた。

当時はCDなど無くレコード盤で、レンタル・レコード屋さんも無い時代なので、お金がない高校生の俺たちは、安い輸入盤のレコード盤を買って聞いていた。

S君は、最初こそ過激なピストルズだったけど、エルヴィス・コステロ、ラモーンズ、やがてはライ・クーダーとかに突入し、レコードの枚数が増え、立派なオーディオマニアだった。

昼過ぎにS君の家に乗り込み、豪華なオーディオ・ステレオで次々と夕方まで聞いていた…気に入ったのがあればカセットテープに録音したりして。

俺もS君の家に遊びに行くときは、少し毛色の違ったビリー・コブハムや大好きなジョー・ウォルシュのソロなんかを持って行った。

S君が「Johnny B. Goodeで凄いのがあるよ」と一枚のLPを高級ターンテーブルに置いた。

それがジョニー・ウインターの1971年の「Johnny Winter And Live」だった。
S君は、最初から最後の「Johnny B. Goode」の頭部分にターンテーブルの針を落とした。

俺はその瞬間に衝撃を受け、後ろにひっくり返った。

ブルースの底なしの奥深さの魅力に痺れた。

俺も同じアルバムを速攻で買ってきて、盤がすり切れるまで聴いた。
あの頃が一番真面目に音楽を聞いていたし、それに応える質の音楽があったよ。

ジョニー・ウインターさんが亡くなった直後から、ブログなどで色んな人が思い出などを書いているが…俺は軽々しく口にしたくないミュージシャンなので、これ以上のコメントは差し控える。

凄く残念なのだ。