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MargeLitch ファースト・デモテープ制作風景 [My guitar & band history]

バンドで合宿[音楽]

バンドの合宿で思い出すのはMargeLitch(以下ML)のデモテープ制作。
Vol.4までは全て合宿での録音だった。
世良さん加入直後に制作したVol.4だけは、バックを男3人が関西で合宿で制作し、東京で世良さんと合流して歌を録音した。

しかし、トリオ時代の3作品に関してはメンバー全員で合宿で録音している…合宿する理由はスタジオ代だった。
多重録音で、曲数も多く録りたいんだけど、お金がないから豪華なレコーディングスタジオは借りれない。

当時録音スタジオでデモテープを録るって事になると、大抵どのバンドもお金がないので12時間パックとかでやるんだけど、リズム隊からギターとかを入れているとドンドン時間が押して、最後にボーカル入れる時なんてやり直す時間がない状態で少々ミスってもそれで切り上げるしか無かった…そんな切迫した中で良いモノが出来るはずがないと、音はさておき自分たちのペースでやりたいという事で、8chのオープンリールのMTRを買って「音は悪いが、納得するまで録音出来る」体勢をまず最初に構築した。

今回紹介するのは、そんなMLの合宿録音の中でも最も過酷を極めたファーストデモテープの録音現場。

もう今から27年前の事になる…。

記念すべきMLのファーストデモテープ「RainbowKnight」は、当時学生だったベースのKyoが在学中だった某大学のクラブの部室をお借りして録音した。

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ベースのKyoの背後に見えるのは俺のギターとハードケース、ケースにはHeavyMetalNoiseの最後の方が見える、因みにギターヘッドに貼ってある青いシールは85年の阪神優勝記念ステッカー

丁度夏休みで、クラブが合宿に出かけている間にお邪魔して録音した…つまりスタジオ料金は無料。
クラブ側が部室にあったモノ全てを合宿先に持って行ってくれたので、部屋はモノがない空き部屋状態で非情に好都合だった。

驚くことにその部室にエアコンが無かったので、俺はエアコンの無い所はダメなので、窓枠にはめ込むタイプのエアコンを部室に取り付けるところから始めた。
楽器やアンプ、録音機材は全て持ち込みで、布団も持ち込んで24時間体勢でドラムから順に録音していった…もう飯喰いに行く時間が惜しかったので、コンロとか炊飯器の自炊道具も持って行った。

今考えるとメチャ気合い入ったレコーディングだったと思う。

マイクとスタンドは新宿の御苑スタジオ、通称御スタでKyoの学生証を使って学割でレンタルしたんだけど、事前に慎重な打ち合わせをして無駄なモノは一切借りず、スタンドとして代用できるのは椅子でも利用した。

ドラムのマコトが炊事係で、レトルトのカレーとかを作っていた。

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ドラムのマコト、背後に見えるのが俺のエアコン

録音はフォステックスの8chのMTRを使った。

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テープを買う金が無かったからこの時のMasterは残っていない…このMTRはヘッドがすり切れて何度も交換した

機材の熱が凄いので、俺の扇風機を持ち込んで冷やしている。

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音が悪い敗因は多々あるけど、モニターのアンプが民生用のオーディオだった事も大きく影響している。

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一番上に見えるのはRolandのDEP3というデジタルリバーヴ

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サブミキサー

ヘッドフォンモニター用のミキサー。

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当時俺が吸っていたタバコはセブンスターだったのか…

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メインミキサー

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背後に見えるのが俺のアンプで、FLIP CONCERT-5000-2、スイッチがスタンバイ状態なのでこの撮影の後もギター録音をするんだと思う

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右側に見えるハードケースが翔子ちゃんから借りたアコギで、その左にチラッと見えるのがマコトの炊飯器

自炊用のマコトのカセットコンロと鍋。

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自炊しているのは貧乏って事もあるけど、夜に学食が閉まると部室から学外に出るのが遠かった

疲労困憊で寝る俺。

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片づけるのが面倒だから床にあるケーブルとかの上に直接布団を敷いていて背中が痛かったけど、疲れていたので即爆睡した…因みに俺の右側に立てかけてあるはMOOGのタウラス2

ドラムを録り終え、オヤツを喰うマコト。

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奥に見えるのはKyoのベースアンプで、初期型ピンスイッチのAmpeg…レストアして大事に使っていたがデモVol.4で飛んで、ピアス+パワースレイブになった、なを2003年の復帰後はハートキーとPEAVEYのハイブリッド

今、この時の事で覚えているのは…やりたいことは明確に頭の中にあって、それを多重録音で再現するのに苦労した。
機材がショボかったのもあるけど、やはりやりたいことと現実の録音技術とに落差がありすぎて、全てが経験不足だった。
ただ、メンバーと合宿で寝起きを共にして、倒れるまで録音に没頭したおかげで、結束力が固まった。

ということでMLファースト・デモから「The Castle of Sand(ダイジェスト版)」です。

[VOON] The Castle of Sand
曲が長いのでダイジェストに編集してあります

この録音は「その後の録音時」のデータ取りも兼ねていたので、事前に結構細かいところまで計画を立てて万全の状態で取りかかったんだけど、ナカナカ計画通りには行かず、途中から根性論というか体力勝負となった。
殆ど寝てない状況だから、疲労が蓄積してきて…最後の方は良く覚えていない。

完成したデモテープは、当時販売網を持っていたハードコア・パンクのレーベルからリリースされた。

納品まで時間が無かったのでバイト先に持って行って商品を作っていると、バイトの先輩が聴いて「中小企業の社長が目一杯張り切ってるって感じだな」と感想を言った。
なんていうのかな、その時まではそれでも「何とか作った」という達成感があったけど、その先輩の一言で発売前のファースト・デモは俺の中で過去のモノとなった。

ただ、その感想を聞いて俺は気が付いた…ボーカルも俺、ギターも俺、ギターソロは延々と長く…俺、俺、俺か。
つまり中小企業の社長が張り切ってるということは、アンバランスって事を言っているんだなって思い、セカンド・デモからドラムやベースに対する録音バランスを重視するようになり、以後の俺のミックスはドラムとベース過多で、ギターが小さくなる。
ま、この時の先輩の一言は見事にカウンターで俺の鼻っ柱に着弾したけど、本当の事だから仕方がない。

…それから時は流れ、1987年のファースト・デモの録音から16年後、オリジナルメンバーのKyoがMLに戻ってきた。
その時、俺達はツアーの道中の機材車の中とかで色々あった昔話もしたんだけど、このファースト・デモ制作の事も話題になった。

Kyoもこの録音はタフだったらしく、疲れがピークの夜…悪夢にうなされたそうだ。
その時は3人一緒に部室に布団敷いて寝ていて酒なんて一滴も呑まなかった…体力の限界まで作業をしていているので横になった途端に爆睡していた。
ってか、俺なんて何泊したのかも記憶が無い。

Kyoが見た悪夢は、一面猿の死骸の中を進んでいるらしい…「ゴメンよ、ゴメンよ」と言いながら死骸を掻き分けて進むんだけど、死後硬直した猿の手がKyoの足や身体にまとわりついて、それを引きずりながら進んでいる…そんな悪夢を見たらしい。
恐らく床に這わしているマイクケーブルが寝ているKyoの足に絡まったんだと思うけど…16年経っても昨日見た夢の様に語っていたので、余程強烈な悪夢だったんだろうね。

今このファースト・デモを何十年ぶりかに聴いてみたけど、未熟とか音の悪いのとかは仕方がないとして、この時のMLがやりたかったことだけはハッキリ判る。

何処のバンドもトラック数が少ない録音パックで、手っ取り早く録音を片づけている時に、俺達のは音も悪いし中身も未熟だけど、確かに数時間では作れないモノを作っていたと思う。

他と違うというのは、それだけでも個性的だと思うのだ。