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BLACK SKELETON [My guitar & band history]

Vol.01-Electric Guitarとの出会い[イベント]


俺がメインで使用しているギター、ホワイトのストラト・キャスターをNo1ギターと命名したのは、既にお気づきだと思うが…大好きなギタリストのスティーヴィー・レイ・ヴォーンの真似だ。

このギターは高校1年の時に母親に買ってもらい、以後現在までNo1と名付け、メインギターとして使いつづけている。

No1を弾く前は、格安国産無名メーカーのオリジナル・モデルを弾いていた。
中学1年の時、母親の買い物に付き合って阿倍野の百貨店に行った時、楽器屋にあったエレキギターが眩しくて、何となく眺めていると、その場で母親が小さなアンプと一緒に買ってくれた。

奈良というとんでもない田舎に住んでいたので、身近にギターを弾く奴なんて居なかったから、誰に教わったというのは無い。
知識がなさ過ぎて、俺はエレキギターはアンプに繋げばギャーン!と音が出るモノだと思っていた。

早速自室でアンプに差し込んで音を出してみて、その音のショッパさにひっくり返った。
どうやってもペンペンという三味線のような音しか出なかった…一体どうすればロックバンドのレコードで鳴っている様な音が出せるのか?想像もつかなかった。

当時の俺の耳で、格好良いと思ったギターの音は吉田拓郎の「ファーストLP」のバックで演奏しているマックスというバンドのギターが凄くて、拓郎が大好きだった。

初代ギターは、デタッチャブルのセミロング・スケールの22フレットで、ベニヤ板で作ったような軽くて薄いボディーに見たこともない形のシングルコイルを2つマウントしていた。
スイッチはフェンダー・ムスタングの様なスライド・スイッチだったと思うが、接触が悪くなり、無線部だった俺はオーディオ用のスイッチに取り替えた。
ブリッジもオリジナルで、ヘラの様な形のバーが付いた板バネのアームが付いていた。

コピーモデルでは無い不格好なギターだったけど、俺の宝物だった。

教則本は最初のチューニング方法だけ参考にしたけど、他は放ったらかしで自己流で弾いていた…弾くというよりは鳴らしていた。

俺は特にエレキギターが欲しいと熱望していたわけは無く、特にギターでコピーしたい対象も存在しなかったから、のめり込むという勢いは無かった。
母親は俺がギターを数週間で飽きて放り投げるだろうと思っていたらしい…。

しかし、毎日何となく鳴らしていた。
今考えると、それが良かったのかも知れない。
俺はギターが上達する過程で、誰かのコピーをする前に、思いついたリフを並べたオリジナルを弾く様になっていた。
ステレオのカセットデッキとラジカセを使って、まずバッキングを弾いて録音したのに合わせ、リードギターを録音したりして遊んでいた。

やがてスケールなんかが何となくわかりかけてきた頃には、ピンクフロイドの原始心母のリフなどに合わせて適当にアドリブで弾いたりしていた…。

このギターは中学の3年間で弾き潰した…最後はフレットが擦り切れてフレットレス状態になっていた。

中学2年の時にバンド演奏した文化祭の時は、借り物のギターを弾いたので、この最初のギターを使って人前で演奏することは無かったが、クィーンやKISSなどを聴くようになり、「こういう風に弾けると良いな」と思っていたが、実際主に演奏していたのは歌謡曲をコードでガチャガチャ弾く程度だった。

…では中学生の頃、俺は無人島の中の様な環境で孤独だったのか?といえば、そうでは無かった。

そろそろ高校進学って3年の頃に、俺は不良を卒業し、ギターに熱中する様になった。
通った学校のクラスメイトに音楽仲間は居なかったが、隣町近辺の仲間達と、バンドを結成した。
スタジオに入るのは高校生からで、この頃は俺の部屋や友人の部屋で小さな練習用アンプで音を出していた。
だから、俺がはじめて複数の人とバンドで音を一緒に出したのは、強制的にやらされた文化祭出演を除いて、この時が初めてだったと思う。

 

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近所のガキが集まって音を出していた 一番右が初号器を持つ俺

何かのコピーというのでは無く、簡単なリフをまずギターイントロで弾き、次にベースとドラムが入るみたいな事を延々やっていたと思う…また、飽きればフォークソングや歌謡曲などをローコードでかき鳴らして歌っていた記憶がある。
全員で曲をコピー演奏する技術が無かったから、バンドというより、楽器を持って集まる仲間達って感じだったが一応BLACK SKELETONという名前を付けていた。

(Vol.02へ続く)