広隆寺 [寺社・城・仏像・ミュージアム]
寺社・仏閣探訪ツアー2018 Vol.05
今回の見仏旅行で久しぶりに中宮寺の菩薩半跏像を見たので、よく比較される京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を見に行くことにした。
今回の見仏旅行から、京都を見て廻る上でとても重要かつ便利なバスという移動手段を諦めた。
本来なら行き先の番号のバスに乗れば良いだけなので、判りやすくて便利なはずなんだけど、もう観光客が増えすぎてバスでの移動は苦痛でしかない。
わざわざ馬鹿高い交通費を払って東京から関西まで出かけて、苦痛を味わうのはレジャーでも何でも無いので、今回からバスを諦めて京都の鉄道デビューとなった。
京都という街は、子供の頃は隣の県に住んでいたので遠足では定番の行き先だったし、バンドで演奏するようになってからも頻繁に演奏しに行く街だったけど、これまで京都市内の鉄道は使った事がなかったので、今回は京都の鉄道状況も細かくリポートしてみる。
奈良の西大寺から近鉄特急で京都駅へ向かう。
近鉄京都駅に到着。
京都駅構内で地下鉄の乗り場を探すが案内が見あたらない…懸命に探したが地下鉄の駅への矢印を1回見ただけで、その方向に進んでもそれ以降の駅への案内が無い。
世界的な観光都市にしてはかなり不便…駅探しで体力を消耗するのは嫌なので、諦めて安易にバス停に行こうと思ったが、今回はデータ収集の偵察を兼ねているので当初の計画を強行した。
いくら探しても地下鉄の駅が見つからないので、京都駅にある観光案内所で聞くと教えてくれた…離れている場所にあるのでかなり歩いた。
そこから先は、バスと違ってスイスイ移動できた…観光客も見かけたが乗客の大半は京都の住人たちだった。
驚いたのはエスカレーターで、以前は大阪・奈良と同じで右側に立ち止まって左側を空けていたのに、今回の調査で東京と同じな事を発見した…いつのまに変わったんだろうか?
地下鉄烏丸線で烏丸御池に行き、地下鉄東西線に乗り換える。
どちらの地下鉄も結構立派で驚いた。
烏丸線の車内はそれなりに混んでいたが、東西線はガラガラに空いていた。
東西線の終点の太秦天神川で京福電鉄嵐山線、通称「嵐電(らんでん)」という、小さな路面電車に乗り換える為に地上に出た。
可愛い嵐電の無人駅。
東京でいえば都電荒川線って感じ。
行き先は嵐山方面…嵐山の竹林もハングルの落書きで凄いことになっているらしい。
可愛い嵐電がやってきた!
バスの様に混んでいるかもと身構えたが、混んでいたけどすし詰めでは無かった…先頭からノンビリした京都の町並みが見れて良かった。
太秦に到着…京都の鉄道を利用してみた感想は、バスより便利という結論だった。
見仏旅行で最も重視したいのは移動に掛かる時間だと思う…1つでも多くの寺を時間を掛けて廻る為には食事や移動時間を削るしかないんだけど、地下鉄はバスより空いていて時間が掛からないのでお奨めする。
太秦広隆寺で下車すると、広隆寺の巨大な楼門が出迎えてくれた。
仁王が良かった。
太秦は京都に平安京が築かれる前から栄えていた場所で、広隆寺は京都市内で最も古い寺で聖徳太子建立七大寺の1つ。
建物の多くは焼失で立て直されたものが多いらしく、塔やこれといった凄い建物は見あたらなかった。
参拝客は少なく、境内は静まりかえっていた。
弥勒菩薩半跏像のある霊宝殿を目指す。
拝観料を払って進む…
十善戒というのに出くわした。
広隆寺は聖徳太子が秦河勝に命じて作らせた寺で、秦氏とは外国から日本に渡ってきた渡来人で、日ユ同祖論では大和民族と古代イスラエルの失われた10支族が日本に渡来したという説があり、泰氏もキリスト教のネストリウス派のユダヤ人では無いか?という説がある。
真偽はともかく、そういう説を背景に「十善戒」を見ると、モーゼの十戒に見えてきた。
京都は祇園祭がイスラエルのジオン祭と同じ7月1日から1か月続く祭りだったり、山鉾に旧約聖書の一場面が描かれていたりで、それらをシルクロードが運んできたといえばそれまでだけど、不思議な謎が多い。
霊宝殿に入ると…そこは仏教美術の傑作が並んでいた。
立派な十二神将などを見ながら進むと、堂の中央に秦河勝が聖徳太子から授かった弥勒菩薩半跏像があった。
材質が日本では使われないアカマツという事から新羅の仏像説が有力だけど、日本製の仏像では他に例がないというだけでアカマツは日本でも自生しており、日本で制作されたとする説もある。
韓国では「瓜二つ」と言われていて、広隆寺の半跏像と比較されるソウル中央博物館金銅半跏思惟像は、俺には全く別に見える。
似ているのは半跏というスタイルの部分だけで、韓国の半跏思惟像を参考に作ったのかもしれないが、彫刻の技巧レベルが違って見える。
それとタイ、インド、中国、韓国の仏像と日本の仏像とは「顔」の質感が違う…ひな人形のCMで「人形は顔が命」というのがあるが、上記の韓国の仏像との差がまさに「顔」で、俺の目には広隆寺の弥勒菩薩半跏像は「日本の仏像の顔」に見える。
広隆寺の半跏像をドイツの哲学者カール・ヤスパースは「永遠の平和の理想を最高度に表した芸術と」絶賛しているが、実際は思ったより小さいのと、距離が遠くLED照明が暗いので細かいところまではよく見えない。
先に歩いていた人がオペラグラスで見ようとして、係員に注意されていた…何処にも禁止と書かれていないので、俺もリュックから双眼鏡を出そうと考えていたので残念だったが、薄暗い堂内を見渡すと監視員の多さと厳重な警戒が目立った。
俺も多くの寺を見てきたが、広隆寺の監視が最強だと思う…広隆寺に行かれた方のブログを拝見しても、係員に注意された方が多かった。
半跏像を見終えて振り返ると…そこにもの凄い仏像達が並んでいた!
特に千手観音立像と不空羂索観音立像が素晴らしかった…もちろんどちらも国宝。
殆どの参拝客は半跏像に群がっていたので、俺は不空羂索観音の前を贅沢に独占出来た。
堂内を一通り見た後で、半跏像の前をアッサリ通過したので戻ってもう一度見ようかなと思っていると、お堂の入り口から強烈な雄叫びと共に日本のオバサンの集団が入ってきたので退散する事にした。
霊宝殿を出たところにお守りの写真があったので厳重警戒態勢の係員さんに「これは何処で買えるのですか?」と聞くと、弥勒菩薩半跏像の前にあるので箱にお金を入れて自分で取ってくださいと説明してくれた。
広隆寺は警戒は異常に厳重だけど、係員の案内は親切だった。
霊宝殿の前の池で、カエルが鳴いていたのだ。
今回の見仏旅行で久しぶりに中宮寺の菩薩半跏像を見たので、よく比較される京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を見に行くことにした。
今回の見仏旅行から、京都を見て廻る上でとても重要かつ便利なバスという移動手段を諦めた。
本来なら行き先の番号のバスに乗れば良いだけなので、判りやすくて便利なはずなんだけど、もう観光客が増えすぎてバスでの移動は苦痛でしかない。
わざわざ馬鹿高い交通費を払って東京から関西まで出かけて、苦痛を味わうのはレジャーでも何でも無いので、今回からバスを諦めて京都の鉄道デビューとなった。
京都という街は、子供の頃は隣の県に住んでいたので遠足では定番の行き先だったし、バンドで演奏するようになってからも頻繁に演奏しに行く街だったけど、これまで京都市内の鉄道は使った事がなかったので、今回は京都の鉄道状況も細かくリポートしてみる。
奈良の西大寺から近鉄特急で京都駅へ向かう。
近鉄京都駅に到着。
京都駅構内で地下鉄の乗り場を探すが案内が見あたらない…懸命に探したが地下鉄の駅への矢印を1回見ただけで、その方向に進んでもそれ以降の駅への案内が無い。
世界的な観光都市にしてはかなり不便…駅探しで体力を消耗するのは嫌なので、諦めて安易にバス停に行こうと思ったが、今回はデータ収集の偵察を兼ねているので当初の計画を強行した。
いくら探しても地下鉄の駅が見つからないので、京都駅にある観光案内所で聞くと教えてくれた…離れている場所にあるのでかなり歩いた。
そこから先は、バスと違ってスイスイ移動できた…観光客も見かけたが乗客の大半は京都の住人たちだった。
驚いたのはエスカレーターで、以前は大阪・奈良と同じで右側に立ち止まって左側を空けていたのに、今回の調査で東京と同じな事を発見した…いつのまに変わったんだろうか?
地下鉄烏丸線で烏丸御池に行き、地下鉄東西線に乗り換える。
どちらの地下鉄も結構立派で驚いた。
烏丸線の車内はそれなりに混んでいたが、東西線はガラガラに空いていた。
東西線の終点の太秦天神川で京福電鉄嵐山線、通称「嵐電(らんでん)」という、小さな路面電車に乗り換える為に地上に出た。
可愛い嵐電の無人駅。
東京でいえば都電荒川線って感じ。
行き先は嵐山方面…嵐山の竹林もハングルの落書きで凄いことになっているらしい。
可愛い嵐電がやってきた!
バスの様に混んでいるかもと身構えたが、混んでいたけどすし詰めでは無かった…先頭からノンビリした京都の町並みが見れて良かった。
太秦に到着…京都の鉄道を利用してみた感想は、バスより便利という結論だった。
見仏旅行で最も重視したいのは移動に掛かる時間だと思う…1つでも多くの寺を時間を掛けて廻る為には食事や移動時間を削るしかないんだけど、地下鉄はバスより空いていて時間が掛からないのでお奨めする。
太秦広隆寺で下車すると、広隆寺の巨大な楼門が出迎えてくれた。
仁王が良かった。
太秦は京都に平安京が築かれる前から栄えていた場所で、広隆寺は京都市内で最も古い寺で聖徳太子建立七大寺の1つ。
建物の多くは焼失で立て直されたものが多いらしく、塔やこれといった凄い建物は見あたらなかった。
参拝客は少なく、境内は静まりかえっていた。
弥勒菩薩半跏像のある霊宝殿を目指す。
拝観料を払って進む…
十善戒というのに出くわした。
広隆寺は聖徳太子が秦河勝に命じて作らせた寺で、秦氏とは外国から日本に渡ってきた渡来人で、日ユ同祖論では大和民族と古代イスラエルの失われた10支族が日本に渡来したという説があり、泰氏もキリスト教のネストリウス派のユダヤ人では無いか?という説がある。
真偽はともかく、そういう説を背景に「十善戒」を見ると、モーゼの十戒に見えてきた。
京都は祇園祭がイスラエルのジオン祭と同じ7月1日から1か月続く祭りだったり、山鉾に旧約聖書の一場面が描かれていたりで、それらをシルクロードが運んできたといえばそれまでだけど、不思議な謎が多い。
霊宝殿に入ると…そこは仏教美術の傑作が並んでいた。
立派な十二神将などを見ながら進むと、堂の中央に秦河勝が聖徳太子から授かった弥勒菩薩半跏像があった。
材質が日本では使われないアカマツという事から新羅の仏像説が有力だけど、日本製の仏像では他に例がないというだけでアカマツは日本でも自生しており、日本で制作されたとする説もある。
韓国では「瓜二つ」と言われていて、広隆寺の半跏像と比較されるソウル中央博物館金銅半跏思惟像は、俺には全く別に見える。
似ているのは半跏というスタイルの部分だけで、韓国の半跏思惟像を参考に作ったのかもしれないが、彫刻の技巧レベルが違って見える。
それとタイ、インド、中国、韓国の仏像と日本の仏像とは「顔」の質感が違う…ひな人形のCMで「人形は顔が命」というのがあるが、上記の韓国の仏像との差がまさに「顔」で、俺の目には広隆寺の弥勒菩薩半跏像は「日本の仏像の顔」に見える。
広隆寺の半跏像をドイツの哲学者カール・ヤスパースは「永遠の平和の理想を最高度に表した芸術と」絶賛しているが、実際は思ったより小さいのと、距離が遠くLED照明が暗いので細かいところまではよく見えない。
先に歩いていた人がオペラグラスで見ようとして、係員に注意されていた…何処にも禁止と書かれていないので、俺もリュックから双眼鏡を出そうと考えていたので残念だったが、薄暗い堂内を見渡すと監視員の多さと厳重な警戒が目立った。
俺も多くの寺を見てきたが、広隆寺の監視が最強だと思う…広隆寺に行かれた方のブログを拝見しても、係員に注意された方が多かった。
半跏像を見終えて振り返ると…そこにもの凄い仏像達が並んでいた!
特に千手観音立像と不空羂索観音立像が素晴らしかった…もちろんどちらも国宝。
殆どの参拝客は半跏像に群がっていたので、俺は不空羂索観音の前を贅沢に独占出来た。
堂内を一通り見た後で、半跏像の前をアッサリ通過したので戻ってもう一度見ようかなと思っていると、お堂の入り口から強烈な雄叫びと共に日本のオバサンの集団が入ってきたので退散する事にした。
霊宝殿を出たところにお守りの写真があったので厳重警戒態勢の係員さんに「これは何処で買えるのですか?」と聞くと、弥勒菩薩半跏像の前にあるので箱にお金を入れて自分で取ってくださいと説明してくれた。
広隆寺は警戒は異常に厳重だけど、係員の案内は親切だった。
霊宝殿の前の池で、カエルが鳴いていたのだ。
2018-05-30 23:03