SSブログ

スポーツの秋の思い出 [ノスタルジア]

陸上[あせあせ(飛び散る汗)]


そろそろ寒くなってきたので、秋も終わりになってきた。

学生の頃の秋といえば、体育祭や所属していたクラブの競技大会などの思い出がある。

俺が中学校の時は、1年で体育系ではバレーボール部に所属していてセッターをやっていて、文系では無線部に入っていた。

バレーボール部は体育館で練習するから、夜になって外が真っ暗になっても練習があった…屋外でやる野球部やサッカー部は日が暮れたり雨が降ると帰れるが、バレーボール部は夜になってもバンバンやっていた。
もう腹が減って腹が減って死にそうだったのと、試合に出れるレベルまで行った頃に「こりゃ俺には合わないスポーツだな」と思って辞めた。

一言でいえばチームプレイというか、不出来な誰かの為に負けてしまうのが嫌だった。

そこで、自分だけが頑張れば結果が出せる個人競技の陸上部に移った。

俺は沢山ある競技の中でも、素質や才能が無くても根性さえあればある程度戦える長距離走が好きだった…中学生だから距離的には中距離だった。

陸上部の練習は、土曜日などは松尾山という裏山の山頂にある寺まで走って、100段程ある階段を利用した練習とかでヘトヘトになった後、再び走って学校まで戻った…もちろん行き帰りは全部員との競争だったが、負けた記憶はない。

見た目は「ただ走る」という滅茶苦茶シンプルなんだけど、競技となると短距離と長距離で鍛える箇所も違ってくるし、練習でもスライドやらフォームの事とか色んな基本的な事が重要なんだけど、最終的には肉体よりも精神の持つウエイトが高い自分との戦いで、それなりに奥が深い。


3年の時、中学生生活最後の競技大会に出るため、練習していてアキレス腱に違和感が出た。

ドンドン酷くなって歩くのも困難になったので、病院で診てもらうとアキレス腱鞘炎だったらしく、太い注射を打たれた。

試合に出るかどうか、練習を止めて最後まで様子を見ていたが治る気配はなかった。

クラブ担当の教師がどうする?と聞いてきたので、俺は試合に出る事に決めた。
 
11.10.01.jpg 
奈良県の陸上の聖地、県立橿原公苑陸上競技場 背後に見えるのは畝傍山
 
 

痛み止めの薬を飲んで、予選のスタートラインに立ったが、勝てる見込みは無かった。

「どうせまともに走っても勝負にならないのであれば、最初から飛ばせるだけ飛ばして、逃げ切れるだけ逃げてやれ」というトンデモナイ考えが俺の脳を支配した。

それまで気持ちが足の事で後ろ向きだったのが、1つの目標が出来た事で一瞬のうちに前向きになった。

それと同時にスタートした…確か3000メートルだったと思う。

一緒に走っているメンバーの中には、俺が万全の状態で挑んでも敵わない様な凄い選手もいたと思うが、俺はそういう奴らを追い抜いて、先頭集団から1人飛び出した。

最初からほぼ全力走行で引き離しに掛かったけど、そんな無茶なペースが最後まで持つはずはなく、追いつかれ、次々と抜かれた。
陸上をやって、そこまで多くの人間に追い抜かれたのは始めてだった。

アドレナリンが出ていたのか、足は痛くなかったけど、痛めた方の足をかばったのか反対側の足が痛くなったり、練習不足もあって、その時は最後まで走りきるのが精一杯だった。

そして、俺の中学の陸上部が終わった…。

試合を終えて帰るとき、担当の教師が「先頭から飛び出したとき、オッ!と思ったぞ」と笑ったが、俺はそういう事よりも、俺なりに全てを出し切った事に満足していた。

足が万全で普段の練習の成果を出せれば予選は通過して、記録もソコソコのレベルまで行けたとは思うが、予想に反して悔しさは無かった…ああ、終わったんだなと、当時の俺にとっては結構厳しい経験を通過し終えた安堵感みたいなのが大きかった。

今でも秋になると、あの時に感じた、予選で走ったグラウンドの土や砂埃の質感を思い出すのだ。