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真紅の肖像 [バンド関係]

タイムマシン[るんるん]


タイムマシンとは少し違うが、過去の自分と対峙するという意味で奇妙な気分になることがある。

例えば昔の写真などは、写っている自分の姿もそうだけど、背景に移っている車などで時の流れを感じたりする。

俺の場合は、写真に加えて自分のバンドの録音なども久しぶりに聞くと…昔作ったデモテープなんかを聴くと…それを演奏していた時代に、まるでタイムマシンに乗った様に戻る事が出来る。

それを録音した時の状況などのアレコレの記憶が蘇る…その時所属していたバンドのメンバーの事とか、録音方法とか、その時使った楽器やアンプ、機材などを思いだす。

「確か、スタジオは○×で、レコーダーはSTUDERの24チャンで、マルチテープは定番のAmpexじゃ無くて…このときはピークに強いScotchだったよな」とか、結構細かい事まで記憶している。


しかし、最近その記憶の精度がイマイチな事に気がついた。

それは写真でも録音関係でも無く、自分が作った「曲」で起きた。

最近、MargeLitch(以下ML)の曲のキーボードパートを作っているんだけど、新曲制作にガッツリ突入する前に、とりあえず既に出来ていて過去に演奏してきた曲から作ろうと思った。
本格的に新曲にのめり込むと、過去曲に戻るのは難しそうに思えた。


そして、作業は現在「真紅の肖像」という曲に差し掛かっている。

この曲は2枚組の「悲劇の泉」というアルバムに収録した曲で、全てのパートを俺が作曲している。
 
12.20.01.jpg
 

当時はシーケンサーを走らせた音をカセットテープに録音したのをメンバーに渡していたんだけど、「悲劇の泉」制作時は本録音の前にフォステックスの8chオープンリールMTRを使ってデモテープを作っていて、デモ収録時のMLはまだキーボード奏者が居ない4人編成だったので、俺がギターとキーボードを兼任していた。
 
 
「悲劇の泉デモテープ」より 
 

本録音の時の為に作った非売品デモテープのラベルには1994年と記載されているので、今から20年前という事になる。


このアルバム制作時は、アルバム制作が決まってから短期間に一気にアルバム1枚分の曲を作っていた。

20分を超える組曲「悲劇の泉」をメインに、「彗星の翼」とか「ホーンテッド・マンション」とかの曲を作っていて、アルバムの中で最も印象の薄い曲が「真紅の肖像」だった…複数の曲を同時進行で作っていたので、どうしても印象の強い強い曲の記憶が残っている。

デモテープにも収録したか?記憶がないし、アルバムの他の曲は全て保存されているが「深紅の肖像」だけは残っていない。
また、アルバムが完成した後も、「真紅の肖像」は殆どライブでは演奏しなかったと思う。


それから時は流れ、当時のキーボード担当だったまんぞを君の要望で再び演奏する様になった…それまで俺の中では完全に忘れていた曲だった。

ここ最近は新曲を作る環境や条件が整わなかったので、最近までライブは手持ちの曲の演奏でお茶を濁していたが、前回のライブから俺がキーボードパートも兼ねる事になるなど状況が変わり「過去曲」として「真紅の肖像」も引き続き演奏する事にした。


という事で、過去に自分が作った曲を、再度細かい部分まで再現してみる事になった。

この曲を作った当初のMIDIデータは…今も捨てていないので部屋をひっくり返せば何処からか出てくるとは思うが、今の俺のDTM環境でそのデータを再現することが出来るか?は判らない。

当時の作曲データはフロッピーにバルク転送して保存していて、それがスタンダードMIDIファイルとしてパソコンに取り込めるか?となると…やった事が無いので判らない。

その作業に掛かる手間と時間を考えれば、最初から作った方が手っ取り早いと思い最初から作ることにした。

そして…「真紅の肖像」という、俺の中ではイマイチパッとしない「アルバムの隙間を埋める曲」を書いた「20年前の自分」と向き合った…。


意外だったのは、イントロからいきなり変拍子?という異様さだ。
しかし、分析してみると、フレーズのパターンとしては変拍子の羅列なんだけど、譜面の尺的には「字余り・字足らず」では無く4/4で治まる…9/8と4/8と3/8で、足して16/8に納まる変態フレーズだった。

しかも同時にバックで鳴っているストリングスは16分音符で鳴っているが4/4で帳尻が合っている…これは確かに俺が作った曲に違いないが…イントロを分析しただけで、長年この曲に対して持っていた「捨て曲」的イメージは払拭された…最初に思った事は「結構手間掛けてるやん」。


当たり前だけど、ギターパートは弾けるんだけど、マジマジとキーボードパートを振り返る事は無かったので、オリジナルの音源を聞きながら発掘作業に入った。

そしてアルバム「悲劇の泉」制作時の、この曲に対する「俺の考え」も埋もれていた記憶の中から浮き上がってきた。

当時の俺は、この曲を「悲劇の泉」の前作「真実の指輪」の「魔物の森」と同じ方向性で捉えていた。

「真紅の肖像」が結果的に当時のライブでは殆ど演奏されなかったのに対し、「魔物の森」は「パテキュリオ」の1曲目にしたほどよく演奏したし、俺のお気に入りの曲だった。

だから音源を聞いても「魔物の森」で追求した「重さ」に拘り、なんとかハードな方面に振り向けようとしているのが判るが…今、時を経て思うのは、その意図は間違っていたと思う。

そんな事を考えながら、過去の自分の作った作品を、現在の俺が「今の思い」で再び「真紅の肖像」を作っていった…新しくアイデアを入れるアレンジではなく、過去の俺の「作曲」を尊重し、今の俺が再現する方向で進めた。

平成の大改修を行った唐招提寺の宮大工みたいな感じで、手を入れていった。


分析を進め「曲を司るピースとしては出そろったか?」と思った中盤、何か面妖だと思ってギターを持って合わせてみると…音程が合わない…チューニングが狂っているのか?と思うが、それどころでは無い程音程が違った。

転調だった…フレーズはイントロと同じなんだけど、転調していた。
ギターだけを弾いていると…当たり前の事が抜けるというか…20年前に曲を作り終えて以降、改めてそれに気づく程「深く考えた」事が無かった。

「なんや、結構プログレしてるやん!」

ちょっと昔の自分が好きになったのだ。