SSブログ

真夏日 [ノスタルジア]

屋外は過酷[晴れ]



茹だるような暑さとは、まさに今日の東京の様な天気の事を言うんだろうね。
一歩屋外に出ると、日差しがジリジリで、焼けた地面やエアコンの室外機の熱で不快指数は限界だ。
 
08.05.jpg 

屋外で働く人は、真冬も過酷だけど、今の時期は本当に大変だろうね。
バスから見たんだけど、道路工事の場所に立っているガードマンが、凄いことになっていた。

工事現場の人たちは全員日陰の涼しい場所に批難してノンビリ休憩しているんだけど、ガードマンは信号機と同じだから出ずっぱりだ。

本当にタフな仕事だと思うが、意外なことに年配者の人が目立つ…若いガードマンなんて見かけない。
という事は、見た目より楽な仕事なのか?と思うだろうが、いやいや、めっちゃキツい。

真夏の過酷な労働といえば…俺が大学に通っていた頃は、奈良県の橿原にある警備会社でアルバイトをしていた。

地元の友人と一緒に所属していたんだけど、当時はバイトを幾つも掛け持っていて、メインのバイトは大阪の肥後橋だったけど、週末とかはガードマンの仕事も入れていた。

ある夏のど真ん中で、日中の暑さから「夜なら涼しいだろう」と夜の仕事を選んだ。
それは大きな盆踊り大会の警備で、俺はある道路に立って、入ってきた車に「この先はお祭りで通行止め」と説明して迂回してもらうことだった。

ところが、日中に地面のアスファルトがギンギンに焼けたのが、いつまで経っても冷めず、無風になる夜の方が蒸し暑い。
通行止めの看板を出しているのに、ヤクザの車は次々とつっこんで来るし、散々だった。

ヤクザなんて、ガードマンの言うことなんて聞かないからね、「入れたらんかい!」とか、ずっと怒鳴られ続けていた。

それでも、楽器や機材、車やバイクのガソリン代が欲しくて、当時のバイトは重要だった。

週末に顔を出す程度のガードマンのバイトだったが辞めずに続けていると、次第に古株になり、俺がパトカーみたいに白黒に塗った会社の車に人を乗せて、現場に連れて行くようになった。

会社を定年になった人とかが、新入りでやってくると、仕事を教える役は俺だった。
まだサラリーマンの上司の風格が残る新入りが、金髪ロン毛の俺に「今日はよろしくお願いします」みたいに言ってきて「旗持ったか?」なんて言っていた。

車を木陰に入れて、ラジオを聞きながら弁当を喰いながら、新入りのオジサンの身の上話や、前の職場での話を聞いたりしたのを、昨日の出来事の様に覚えている。


…あれから、何十年も時が経ち、色んなモノが劇的に進化したけど、ガードマンの仕事だけは当時と変わらない。

冷房の効いたバスから、炎天下で立っているガードマンを見ると、その仕事がどれだけ過酷かを知っているだけに、可哀想になる。

実際にやってみると、暑い・寒いという苦痛なんかより、立ちっぱなしなので「足にくる」のが辛い。
一番キツイのが「時間が経たないこと」だった。
若かった俺が3分おきに腕時計を見ていた…今の俺には10分も出来ないね。


炎天下で、屋外での仕事は何だろうが大変な時期なのだ。