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妹 [ノスタルジア]

美人薄命[もうやだ~(悲しい顔)]

今回は俺のプライベートな事を書きます。

俺は2人兄弟で、3歳下の妹がいた。

最近、アナログメディアのデジタル化を進めている。
膨大なビデオテープを片っ端からデッキに突っ込んで作業を進め、最後に残ったのはラベルが貼られていない謎なテープばかり。
「なぜラベルを貼らなかったのかな?」と中身を見てみると、それらの大半が俺のバンドをビデオカメラで撮影したテープなんだけど、どれもピンぼけの映像で、それを見た当時は「こりゃダメだ」とラベルも貼らずにポイっと箱に放り込んだんだろうね…それを今、何十年ぶりかに取り出して一本一本確認している事になる。

そういう「エラーモノ」の素材を、わざわざデジタル化するのか?も悩んだが、幸いこのプロジェクトの為に購入したハードディスクが予定していたよりも空いたので、とりあえずなんだろうが記録しておく事にした。

作業を進めていると…謎テープの中から俺の妹が映っているテープが出てきた。
なぜそんなテープを俺が持っているのか?も、今となっては判らないが、テープの中身は妹がアメリカで暮らしていて、日本の両親に宛てたビデオレターというか、アメリカでの旅行とかを撮影したモノだった…。

俺の妹は、頭の悪い俺なんかと違って凄く優秀で、小さい頃から特に語学、国語とか英語が滅茶苦茶優秀だった。
特に興味のある分野では突き抜けた才能があった…音楽の才能なんて俺なんかとは比較にならないほどの鬼気迫る素晴らしさで、それは妹が実家にあったアップライトのピアノを数秒弾いただけでビンビン伝わってきた…だから、俺は子供の頃から「幾ら努力しても越えられない天性の才能の壁」というのがこの世に存在することを嫌というほど妹から教えられていた。

そんな妹は英会話が得意で、大学時代にアメリカにホームステイしたり…俺は良く知らないんだけど、外務省の関係だったと思うが…親善大使みたいな事で世界各地を飛び回っていた。
確か天皇陛下の関係で、そういう大使に選ばれたのが奈良県では初の快挙とかで、新聞の一面に出て県知事とかが出席する壮大なレセプションが行われたらしい…そんな事で、年号が平成になって今の天皇陛下に最初に謁見した民間人は俺の妹だった。

俺はエリートの妹のやっていることには無関心だったが、妹は霊感があって、海外に旅行した時に泊まったホテルで幽霊に遭遇した話とかをアレコレ話してくれた…結構幽霊の話は多く、どれも怖かった。
妹は怪談好きとかではなく、どちらかと言えば嫌いだったと思うが、俺が興味を示して聞くと事細かく教えてくれた。

そんな妹は学校を卒業後、大阪にある外資系の一流企業に就職したんだけど、辞めてアメリカに行ってしまった。
まだメールなんて無い時代だったから、妹がアメリカからかけてきた国際電話で聞いたところ、冬はフロリダ、夏はアラスカに住んでいると言っていた。
マイアミから島々がハイウエイで繋がっていて、その最先端にあるキーウエストという観光地の島で暮らしていたらしい。
キーウエストは真っ白な砂で有名な美しいビーチがあって、もう目の前がバハマとかキューバなんだけど、海水浴と言ってもサメが怖いので誰も泳がないらしく、サメの事故も多いらしい。

しかし、フロリダの夏は異常に暑いのとハリケーンが怖いのでカナダを飛び越えたアラスカに住んでいると言っていた。
夏のアラスカも素晴らしいらしく、キングサーモンを釣るために世界中から釣り人がやってくる釣り天国らしい…妹もそういう場所に出掛けたらしいがグリズリーという巨大な熊が出没するらしく、これもフロリダのサメと同じくらい危険だと言っていた。
妹からのアメリカ情報は桁外れの大自然って感じだった。

妹が旅行したときなどに、旅行先で買ったおみやげが送られてきたんだけど、日本からの旅行で無くアメリカからの旅行なので、あるときは南米のおみやげだったりして、俺はインカ帝国の謎とかナスカの地上絵の謎とか大好きなので凄く気に入って…あれから数え切れないほど引っ越しを繰り返しているが今も捨てずに大事に持っている。

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部屋に飾っているのだ

やがて日本に戻った妹は、東京に住んで暫くは英語力を使った外資系のOLをやったりしていたんだけど、そのうちに結婚した。
時は流れ…その後俺も離婚したり、妹の方の家庭もお互い色々あって、俺が最後に妹と会ったのは2011年の春だった。

3.11大地震の後だったと思うが、父親が東京に出てきた時に3人で会った。
そして、それから間もなく…俺の妹はあっけなく死んでしまった。

3.11で東電がパンクで節電とかで何処も冷房が自粛されていてサウナ状態になった地下鉄を乗り継いで、父親と葬儀屋まで妹に会いに行った。
その数日前に妹からメールが来ていて、特に体調の事とかは書いてなかったので、何かの間違いだと思って信じなかったが…確かにそれは妹だった。

変な話だけどその時、正直妹が羨ましかった…よく幸せな人生というけど、本当にそんなモノがこの世にあるのかな?
ほんの一握りの「私はポジティブ思考だ」と、大きな勘違いをしている脳天気なオハナバタケな人々を除き、大半の人々にとってこの世の中は地獄ではないだろうか?

端的な例だと、これは俺の記憶なんだけど、まだ1歳にもならない頃、部屋の中央で母親が俺を立たせて部屋の端に移動して笑顔でこっちに来いと手を叩いて俺を呼んでいる。
生まれたての俺は、何とか歩こうとするんだけど身体が言うことを聞かない…とにかく地球の重力が重くて足が身体を支えられない。
それでも何とか踏ん張って母親の所までヨロヨロ歩くと、母親は笑顔で部屋の反対側に移動して、再び手を叩いて俺を呼んでいる。
やっとの思いで到着したのに、「話が違うやんけ!」と、言葉はまだ話せないので頭の中で怒り狂っていた…つまり赤ん坊だってこれだけ大変なわけで…常に1Gという重力に引っ張られる地球という惑星で生きていくのは凄く厳しい試練なんだと思う。

ましてや現在の殺伐とした出口の見えない未曾有の大不況の中で、世の中全体が陰鬱とし、気味の悪い政治家や役人共が国民に寄生している…そうする事が当たり前の様に、貴族のように振舞っている。
不思議なことに寄生虫どもは、誰の許可も得ていないのに、厚かましく、それが特権であるかのように振舞っている。
そんな未来に何の夢も希望も持てない社会で長生きなんてして何の意味があるのか?
俺なんかは、早く寿命が来たやつの勝ちだと思う。

また、聡明で美人だった妹が年老いてヨボヨボになる姿を見なくて済むのも良いことなんじゃないかなと…自分に言い聞かせた。
そういう風に思わないと、余りにも突然の出来事だった。

小さい頃は一緒に遊んでいた…俺が自転車に乗れるようになると嬉しくて妹を後ろに乗せて走るんだけど、数メートル走った時点で妹はひっくり返って道路に落ちていて、俺は気づかずに走り続ける…みたいな事がデフォルトの風景だった。
でも、大人になってからは妹とは特別ベタベタ仲が良いわけでも無く、時々近況などの連絡を取り合う程度の関係だった…兄と妹なんて何処もそんなもんだと思う。
「男はつらいよ」の寅次郎とさくらの親密さはちょっと異常、あの映画の脚本は妹がいない人が書いたんじゃないかな。
ただ、不思議な事だけど、俺は妹が死んだときにその事を感じ取っていた…だから兄弟というのは不思議な力で繋がっているのは確かだ。

妹が亡くなる5年ほど前、母親が危篤になった知らせを聞いて急いで東京から奈良に駆けつけた事があった…数日間奈良にいたが、小康状態が続いたので俺は仕事があるので東京に戻ることにした。
その後に別れた嫁と2人で一緒にバス停に向かって歩いていると、妹が見送りに来てくれた。
そして妹が実家に戻って行く…その後ろ姿を見た瞬間、俺は意味もなく「妹がもう長くない」と感じその場で号泣した…でも横にいた他人の嫁には何で俺が泣いているのか判らなかった。
でも、俺は兄弟だから判った。

俺が最後に妹にした事は、今でもはっきりと覚えている。
父親と3人で東京であって食事をした後、駅でお互いの乗る列車が逆方向なのでホームで別れた。

別れるときに、電車を待ちながら中央線のホームでオッサンになった俺が、オバサンになった妹の頭を撫でていた…それが今生の別れとなった。
その時、何故いい年したオッサンが、大勢の人が行き交う駅のホームでそんな事をしたのか?と問われても、俺にも判らない。
ただ、俺はその時「そうしなきゃダメだ」って思い、妹も俺に頭を撫でられながら何も言わず黙って立っていた…今となっては、あの時周囲の目など気にせず、撫でて良かったと思っている。

全く俺と似たところが無い妹だったけど、「猫マイスター」なところと、他人の目を全く気にしないところとかは凄く似ていたと思う。

妹がヴァルハラに旅立って、その事を何年も書く気になれなかったけど、今回ビデオテープを整理していて予期せぬ所から突然妹が動いている画像が出てきたのを見て…時間が経ったのか…何か懐かしいなって思えた。

でもテープが出てこなければ、妹のことは書かなかったというか、書けなかったと思う…テープの中で笑う妹を見て「懐かしい」と思った瞬間、妹の死が俺の中で過去の出来事になった気がした。

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…病とかで苦しんで病院に長く入院したりとかでは無く、誰の手を煩わせることもなくあっけなく逝ってしまった妹…

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俺もその潔い死に様にあやかりたいのだ。