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YAMAHA XJ-400とBenelli QUATTRO [ノスタルジア]

お気に入りだったバイク達[ぴかぴか(新しい)]

俺の実家は、父親が引っ越し魔なので定期的に住所が変わる。
それは別に勝手にすれば良いんだけど、引っ越しの度に何が何処にあるかが判らなくなり…勿論一緒に住んでいない俺は更に判らない状態が、母親が亡くなってから激しくなっている。

しかし、今住んでいる場所が気に入ったのか?は判らないが、今回実家に帰った時はアルバムなどが本棚に並んでいた。
大半は家族の写真のアルバムで、旅行に行った時や正月とかの写真で、俺個人のは無いか?と探していると、何とか数枚のバイクの写真が貼られているアルバムを発掘出来た。

そもそも、当時の俺は写真に興味は無かったし、バイクツーリングとかになればバイクの事で頭がいっぱいでカメラを持っていく事なんて頭に浮かばなかった。
だから、バイクの写真は殆ど無いんだけど、友達とツーリングに行った時なんだろうね…何時誰が何処で撮影したのか全く覚えていないが、俺が最も気に入ったバイクXJ-400の写真が出てきた!

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ヘルメットはイタリアのNOVA…すごく軽くてデザインが気に入っていた

格好のネットネタなので実家にはスキャナーが無いのでコンデジで撮影してみた…ブログなどで過去を語る時は特に写真などの証拠を掲載しないと…妄想では何とでも書けるから。
これまでバイクの話題をあまり書かなかったのも、写真が無かったから。

写真と言えば…ギターより熱中したラジコンのエンジン模型やバイク関係は物的証拠が圧倒的に少なくて残念…もっと写真を撮っておけば良かったんだけど、俺は昔から写真を撮られるのが大嫌いなんだ。

YAMAHAのXJ-400は、何台もバイクを乗り継いでバイクという乗り物を理解した頃に出会った。
バランスが良く、軽くて乗りやすく、エンジンもタフで故障もなくて、俺が最も気に入ったバイクだった。

XJの前は、イタリア製のバイクに乗っていた。
イタリアのモト・グッツィの傘下でBenelliというメーカーがあって、QUATTROという250ccで4気筒のバイクに乗っていた…他にも同時進行で複数のバイクを持っていたけど、Benelliに全神経と全体力を奪われていた…値段は当時新車でホンダ750Fと同じ値段だったと思う。
しかしBenelliは凄く調整の難しいバイクで、燃費が悪いのに燃料タンクも小さくて、ちょっと気軽にツーリングに出掛けるというバイクでは無かった。

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イタリアンレッドのベネリ・クアトロで走る俺、クアトロはメーターなどの計器類はタンク上部にあって、普通メーター類があるハンドルの付け根部分に見える白いモノはタイヤパンドーです

とにかくエンジンを1回でもかけ損なうと、プラグを全交換しなければならず、狭い場所にあるプラグを特殊なレンチで交換するのは大変な作業だった。
問題は4つ並んでいるキャブレターにあるらしかったが、手の入らない位置にあるので調節するにはタンクからバラさなきゃならず、ツーリング先で愚図りだすとお手上げだった。
後に知り合ったバイク仲間に、同じクアトロに乗っていた人がいて、キャブレターの調整は歯医者が使う鏡と専用のオリジナルの工具を使っていたと言われ、俺には無理だったと納得した…その人も苦労の末クアトロを手放していて、お互いの苦労話に花が咲いたのを覚えている。

ボディーは樹脂製で125ccの様に軽く、エンジンは圧縮率が高いのか国産では味わえないマルチシリンダーの感触だった。
音も、250ccなのに図太い低音が出て、高速道路に上げて飛ばしてみたが結構安定していた。

当時世界でただ1つの250ccの4気筒という珍しいバイクで、それなりに気に入っていたんだけど、余りに手間が掛かりすぎるのでウンザリして乗り換えることにした。
最初はヤマハの2ストロークのRZ-350にするつもりだったが、新製品でXJ-400が発売される事を知ってカタログを見て気に入り、決めた…確か追い金はナシの交換だった。

XJ-400は、それまでのベネリーが手間が掛かりすぎたというのもあって、超スーパー優等生だった。
燃費も良いし、レギュラーガソリン仕様だし、エンジンもマイルドで良く回るし、ブレーキもダブルディスクでシッカリしているし…言うことは無かった。
初期トラブルで、ガソリンタンクのフタを無料交換した位だった。

このバイクと平行して、東京に移住する前まで沢山のバイクに乗ったけど、XJ-400だけは最後まで手放さずに乗り続けた。
特にツーリングになると、迷わずXJと出掛けた…大阪、奈良、和歌山の主要道路のほぼ全てをこいつで走破した…特に毎週日曜日の朝は、ツーリング仲間が集まる阪奈道路にあったレストランの大駐車場に行き、そこから西名阪→名阪国道→伊勢自動車道とかで、大体1日で500km位は走っていた。

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奥吉野か熊野だと思う

今は道路が凄く良くなっているらしいけど、吉野〜熊野とか吉野〜十津川などの旧169号線とか168号線の狭い急なカーブが延々と続く悪路も、XJではちょっと狭かったけど数え切れないほど走りに行った。

キツい想い出も少しあって、あれは…京都の木津でツーリング仲間と待ち合わせをしていて、俺は25号線を横田から24号線で木津に向かっていたが遅刻しそうで焦っていた。
今も同じだけど、24号線はJRの高架の先、阪奈道路の手前から高架になって、奈良市街を過ぎると高架から降りる…ちょうどその辺りでバスがトロトロ前を走っていて、すり抜けで追い抜いた。
3速辺りでエンジンが吹け切った時にねずみ取りのレーダーを通過した…ポリ公が笑いながら「何キロ出していた?」と聞くので「確か50キロ位やったと思う」とトボケたが、表示板にはガッツリ120kmと出ていて一発免停で90日喰らった。
免許の点数とかはどうでも良いけど、罰金と停止期間短縮の講習代が痛かった…そんな国家権力の理不尽な辛い出来事もXJ-400と味わった…。

ある時、ご機嫌で乗っているとマフラーの底に穴が開いたので、モリワキの手曲げ集合管を付けていたけど、他は特に込み入った改造はぜずほぼノーマルで乗っていた。
不思議と改造する気にさせない完璧に気に入ったバイクだった。

気を付けていたのはタイヤ位かな、飛ばすのでタイヤだけは良いのを履かせていた…PIRELLIのPHANTOM SPORTSCOMPとかを履いていた。
今はどうか知らないが、当時のタイヤはダンロップのTT-100とかが主流だったんだけど、食い付きがイマイチで、減りは早いけどPIRELLI のタイヤは気に入っていた。

XJ-400は、俺が東京に移住して乗らなくなったので、ツーリング仲間の人にあげると凄く喜んで、全てノーマルに戻してその後も長く乗ってくれたらしい。

今、バイクに傾倒していた時の事を思い出すと…色んな想い出は書ききれない程あるけど、XJ-400は俺の過去の「楽しかった想い出」の代表なのだ。