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ジンジャーとフレッド [ドラマ・映画・アニメ・漫画]

フェデリコ・フェリーニ監督作品[カチンコ]

1985年のイタリア・フランス・西ドイツ合作映画。

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ハリウッドの名ダンス・コンビの「ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステア」のモノまねで、「ジンジャーとフレッド」として人気を博したジンジャーことアメリアを実生活ではフェリーニ監督の妻だったジュリエッタ・マシーナさんが演じ、フレッドことピッポを往年の美男子マルチェロ・マストロヤンニさんが演じた。

2人はローマでクリスマスのテレビ番組に出演する為に30年振りに再会する。
テレビ嫌いのフェリーニ監督がこれでもか!とテレビ局の横暴な軽薄さで観る側をイライラさせ、そんなテレビに出演する奇妙な人達をやりすぎなまでに執拗に描写する。
そんなカオス状態の中で少しずつ、アメリアとピッポの人生が明らかになっていき…2人はテレビカメラの前で踊り…そして別れていく。

細かいあらすじはネットで検索すれば山ほど出てくるので、そちらに任せるがまず映画を観ることをお勧めします。

清銀の感想は…随分と残酷な映画だと思った。

映画全体を醜悪なテレビ局の無責任で薄っぺらい軽薄さが支配している…そんなテレビの中のおもちゃ箱にあった膨大な使い捨て人形の1つであるジンジャーとフレッド。
そんなとるに足らない小さな存在の2人にも語るべき人生があった…この辺りが実にフェリーニ的な表現。

2人の初老のベテラン俳優の哀愁のにじみ出る演技が、見ちゃいられない可哀想で残酷なシーンを優しくオブラートに包んでいる。
ピッポが「俺達はまだまだやれる」と頑張るがアメリアを持ち上げただけで息を切らせてフラフラになったり、テレビの本番中でタップダンスのソロでひっくり返ったり…可哀想で見ていられない。

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ジンジャーとフレッドの2人は…時間と共に刻々と年老いていく我々自身なんだと思った。
この映画はそれが誰にでもいつか必ずやってくる現実なんだと教えてくれる。

誰もが、日常の社会でそれなりに働いたり、恋愛をしたりして「生き甲斐を持ったり」「輝いたり」しているつもりなんだが、それは社会という軽薄で無責任なおもちゃ箱の中では、ちっぽけな見向きもされない存在でしかない…一見輝いて見える人気タレントも、偉そうに見える政治家だって、味がしなくなれば吐き捨てられるガムみたいなモノなんだ。
つまり有象無象が跋扈する様を撮すテレビとは、我々が暮らす社会を映す鏡なんだと思う。

この映画をある種のコメディーモノと捉えて笑う奴がいれば、そいつは自分の滑稽さを笑っている事になる…俺に言わせれば最初から最後まで天井から吊したロープを首に巻き付けて号泣しながら観る逃げ場の無い辛辣なホラー映画だ。

昔の恋人との再会というロマンス風味から始まる映画なんだけど、現実は180度逆の厳しい結果だったという「救いの無いどん底の終わり方」がなんともやるせない…一欠片の希望も無い。
映画は娯楽だと思ってこの映画を観ると、ウキウキ気分が最後は鬱病のようになってしまうので要注意だ…可能であれば抗不安薬などを貪り喰いながら観る事を勧める。

しかし、こういう映画を観ると、心の底から長生きなんてするもんじゃないって思う…どんな人生を歩もうが、最後に待っているのは孤独という地獄だ。
「ナンダカンダ言っても、生きているときは他に色々あって直視する機会も滅多に無いけど、死ぬときは1人なんだ」と目を覚まさせてくれる。
つまり、誰もが見ないフリをしているが、棺桶のサイズは1人用しか無い。

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奇跡もマジックも何も起きなかった別れのシーン…手を振るアメリアのチッポケな事!儚くて、まさに今生の別れ…号泣だ!

映画「ジンジャーとフレッド」は、「惜しまれるうちに死んだ奴の勝ちだ」と教えてくれる良心的な教育映画だと思う。

俺なんかは…映画はもう少し夢というか、逃避させてくれる「ウソ」のある内容が好きなのだ。