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ジョン・ロード逝く [音楽]

辛いニュース[もうやだ~(悲しい顔)]
残念なことだけどジョン・ロードさんがお亡くなりになった、ご冥福をお祈りします。
DeepPurpleという歴史的バンドでの演奏は間違いなくHRの歴史そのものを作ったと言える。
彼が与えた影響は計り知れない。

いつの頃からだろうか…誰かと話した事だけを覚えているんだけど…「もう来日するのが楽しみな外タレが居なくなった」って言ってもう10年以上経ったと思う。

正直、現在ライブが見たいと思う外タレはいない…いたとしても、申し訳ないが賞味期限が切れていて改めて観たいと思わない。
ただ、俺が見たいと思った外タレの「全盛期」の来日ライブのほぼ全てに足を運んでいる…しかし、そういうのから遠ざかって10年は経つと思う。
大半がHR/HM系のバンド達だった。

ロニー時代のRainbow、「Heaven and Hell」時代のBlack Sabbath、「Staying a Life」時のAccept、IRON MAIDENの初来日、イングヴェイ在籍時のALCATRAZ、「DOWN TO EARTH」時のRainbow、「Screaming for Vengeance」時のJudas Priest、「OZZMOSIS」の頃のOZZY、「Stranger in Us All」発売時のRainbowも最高だった。

ではジョン・ロードはいつ見たんだ?ってなると、再結成DeepPurpleで見た。
この時もリッチー・ブラックモアが久しぶりに来日するというのでチケットを買ったが、来日前に脱退してしまった。
リッチーの人気が凄かったから、ライブは予定通りに行うがチケットの払い戻しも受け付けると告知されていた。

リッチー来ないけど、どうしようか?ってなって…とりあえずガッカリだけど、結構良い席が取れていたので見に行くかって事になって代々木オリンピックに行ったら、ジョー・サトリアーニだったか?…もう既にスティーヴ・モーズだったのか?記憶が曖昧だけどヘルプのギターが弾いていた。
俺はリッチーが見れないショックが大きくてショボ〜ンって沈み込んでいた…だってハイトーンが出なくなったイアン・ギランに何の価値があるの?って感じだし…再結成Purpleってリッチーの他に何があるの?って思ってた。

だから、その時に生ジョン・ロードを初めて見たんだと思うんだけど、演奏云々以前に、どういうライブだったかすらよく覚えていない。
ただ、2発並べた白いレスリー・スピーカーの回転が2台同時に速くなったりユックリになったりするのがよく見えたのを覚えている。
ステージはマイケル・シェンカーの様に「大外し」は無い顔ぶれだから、それなりに盛り上げるライブにまとめたんだろうけど、俺は「ハンバッカーのギターでパープル弾いてどないするねん!」って感じで、退屈とは言わないがリッチーの件が絡んでいなければ間違いなくチケットは買わなかった。


俺にとってジョン・ロードは…リッチーの輝きが凄すぎて余り良く知らないと思う。

Purpleでのジョン・ロードのプレイで好きなのは、「24 Carat Purple」の「Speed King」のイントロかな。
「Made in Europe」の「Lady Double Dealer」のソロも最高!
つまり、俺の青春そのものだ。

ファンとは勝手なもので、俺もテクニックとかでは無く、リッチーの強烈な生き方とかポリシーをジョン・ロードと比較してしまう…これはビートルズのジョンとマッカートニーも同じだと思うけど、2枚看板だったPurpleのメロディー楽器担当の悲劇的な宿命なのかもしれない。
リッチーも今はスッカリ落ち着いてしまったけど、第3期Purpleを脱退した直後に、よりパワフルなRainbowへ移行しリッチー色の個性が変わることは無かった。

それに比べ、ジョン・ロードはその後バンドやメンバーによって激変し、放っておくとハードですら無くなる危うさを俺なんかは感じていた…上手く言えないけど、他ジャンルのキース・エマーソンとかリック・ウエイクマンの方がジョン・ロードより数段アグレッシブに聞こえた。

俺がリッチーに傾倒しまくりだった時はRainbowだったから、Purpleとなれば高校の文化祭バンドでの演奏とかになる…以前このブログで紹介した高校文化祭の「HighwayStar」とか、俺達の年代のバンドやってた奴なら誰もが通る道を俺も通過していた。

でも高校の頃にPurpleを演奏しようとすれば、メンバーを集めるのに凄く苦労した。
奈良という、これはもう白鳳時代から何も変わっていない土地柄なので…今はどうかしらないが、俺が高校生だった時はロック不毛の地で、特にジョン・ロード役を探すのは至難の業だった。
だからギター2人の5人編成で「Smoke on the Water」とかをやっていたけど…やっぱオルガンの音がしないと楽しくもナンとも無かった。

そんな奈良で奇跡的にkeyboardが弾けるメンバーが見つかったとしても、リハーサルやライブでは大変だった…偶々俺達が使っていた「法隆寺文化スタジオ」とかいうソロバン塾の地下には、オルガンとレスリースピーカーがあったけど、他のスタジオはまともな鍵盤が無いところが多かった。
当時メンバーが使っていたオルガンの重量が半端じゃなくて、ライブでの運搬はトラウマになっている。


しかし、ジョン・ロードも71才だったんだね…。

残念なのだ。