バンドにおける失敗 [バンド関係]

何も学ばない失敗もある[ふらふら]

 

最近気が付いたが、このブログも始めて2年を越えていた。
ま、そんな中には、俺の恥ずかしき失敗談なども書いてきた…ってか俺の人生は失敗の日々の積み重ねだからね。
でも学ぶべき失敗は、チャレンジしての結果だから悪い事ではない…ダメなのは同じ失敗を繰り返すことだと思う。

例えばバンドでの失敗などを俺がここに紹介しても余り意味がないと思う…そういうのは誰もが実際に自分の身体で経験しなければ、情報として頭に入っていても身に付かないと思うから。

俺の場合、過去の失敗なんかも、今振り返れば「失敗しておいて良かった」知識として身に付いている事が多い。
だから、今も何か思いつけば試す事を躊躇わない。

ただ、バンドものでも「ネタ」として記憶に残る失敗もある…つまり「他の誰もやろうとしない」であろう失敗だ。
こういうのも、ここに「大馬鹿回想録」として書いていこうと思っている。

…そういう意味では、MargeLitchでも初期の「トリオ時代」は「トンデモナイ失敗の宝庫」だった。
何故あの時期が宝庫だったのかを今振り返れば、ミーティングで出た些細なアイデアも脳内で却下せずに「とりあえず片っ端から試した」結果だったと思う…もちろん熟考しなかった反省はある。

それ程ミーティングに時間を割いたし、単なる演奏以外に大まじめに時間を掛けていた。
今の俺はそういう土台の上に居るので、的はずれなヤラカシも少なくなったが、それはあの頃の膨大な失敗のおかげだと思っている。

今回はその中でも特大級のを紹介する。
この話は以前「土支田銀河帝国」でも紹介していたが…ある時トリオMLのミーティングで「他のバンドと違うドハデな事をやりたいのだが…」という議題が持ち上がった。

そもそもMLは4人編成のバンドでスタートし、初代ボーカリストが抜けて俺がボーカルとギターを兼任する事で3人編成になった。
最初のMLのライブはとりあえず機材等の調整から始めた。

ドラムのマコトはセットを持っていなかったので、埼玉で就職していたブリティッシュ・スティール〜H.M.N#2のドラマー新野のドラムを譲って貰って、自前セットを組むところから始めた。


MaregLitch

マコトのドラムセットのタムにはまだH.M.N#2のステッカーが貼られている

ベースのKyoもベースを新しくしたり、機材車が動くライブ当日にアンプを買ったりしていた。

だからMLはまだまだ未完成で実験的要素が大きかった。
俺達はいきなり大きな所でドカーンと始めずに、小さなライブハウスで様々なデータを収集することを優先した…その頃リハを新宿でやっていた事もあり、リハスタジオの前の道を挟んだ反対側にあるヘッドパワーというお店で数度ライブを行った。
俺もKyoもML結成前のバンドで、東京の主要なライブハウスには出ていたから、時間は掛からなかった。

この用心深い準備には俺の…言葉の使い方が正しいのか?は判らないが…1つの事件を目撃したことがトラウマとなっていることから来ている。


あれは、俺が大阪でバンドをやっていた時だった…

ある顔見知りのバンド仲間から連絡が来て、そいつらのバンドを見にいった時の出来事。

そのライブは彼らの初ライブで、場所は大きな公園の野外ステージだった。
当日出演のバンドは、関西ハードロック系の中堅所が顔を揃えており、そのバンドは編成がトリオで、メンバーは大阪のライブハウス周辺ではそこそこ名前の通った連中達だったので、俺も期待して彼らの出番を待っていた。

いよいよ彼らの登場となった。
1.5メートル程の高さの本格的なステージの真ん中に大きなドラムセットが組まれ、やがて一曲目が始まった!
激しいドラムイントロを合図に、幅広いステージの両端からギターとベースが飛び出してきて、演奏が始まった!
2人共張り切ってステージの上手と下手から全力でステージ中央に走る…当時は大阪のカリスマ・バンド、デシュラッシュバウンド「IRON」の前身バンドだった「マインカンプ」が最初だったと思うけど、バンドがステージに走って登場するのが流行っていた。

そして俺は地獄を目撃したんだ…。

どちらも前を見ないでギターを弾きながら「全力疾走」していだんだろうか、中央に向かって走る2人は見事にステージの真ん中で減速する事無く正面から激突した!

2人は激突した瞬間、一瞬意識が飛んだのか?変な倒れ方で、そのままステージから1.5メートル下の地面に転落した。
その時にアンプから2本ともケーブルが抜けて音が消え…ドラムのリズムだけが虚しく「ポンボンポンボン…」って、スネアのスナッピーが下がりっ放しみたいな悲しい音だけが虚しく鳴っていた。

落ちた2人は、柔道の寝技みたいな格好で絡まっていて、暫く動かなかった。
結構見物人の多かった会場には、相変わらずドラムの「ポンボン…」というリズムだけが鳴っている。
ドラムの位置からは、彼らが一瞬にして異次元に消えたって見えただろうね。

ステージ下で絡まっていた2人は、やがて起き出して額や鼻を押さえながらステージに戻ったけど、どっちの楽器も壊れていてジャックを差しても「ブー」とか「ビィ〜」しか音が出ない…そのうちにドラムも叩くのを辞めて…彼らの初ライブは「終了」した。
ボクシングで例えれば1R開始のゴング直後のダブルKOって感じだった。

…この時の出来事を一言で言えば、文才の無い俺なんかには「壮絶な地獄!」としか表現できない。

マジで彼らには申し訳無いが、俺は客席で「ええもん見た!」と、拍手しながら大笑いしていた。
何かチャップリンの映画を観た様な可笑しさだった。

その時を最後にそのトリオの名は聞かなくなったが、そこのギター君のステージはその後何度か偶然見る機会があった。
でも、見る度に「あの時の事件」の記憶が蘇り、そいつが真面目にやればやるほど、張り切れば張り切るほど笑いがこみ上げてきて、客席で腹を抱えてのたうち回った…周囲の人は何故俺が涙を流しながら笑い転げているのか判らなかっただろうね…いや、マジで笑いすぎで呼吸困難で死ぬかと思った程苦しかった。

…俺は彼らの「事件」から、「最初っからアクセル全開はとても危険!」という事を学んだんだ。
何かトリオって編成は、誰も止める奴が居なければ、何事も極端にトコトン行きすぎるって傾向があるんだ。

そういう事で、MLはオリジナル曲やデモ・音源、機材などが揃っても用心深く、東京を避けて埼玉のライブハウスに丸一年間出続け、ノウハウを蓄えていた。
そのノウハウを一気に東京のライブハウスやツアー先にぶつけたので、肝心な重要なライブでのトラブルは少なかったし、その後再びボーカリストを加えた4人編成への移行もスムーズだった。

つまりトリオMLは「準備と修行」色が濃かったわけだが、ステッカーを作り、ステージ後ろに設置するステッカーと同じ大きなロゴなど、次々とアイテムを作っていた。

そんな、大抵の頭に浮かぶ必要なモノが揃った時に「他のバンドと違うドハデな事をやろう」という意見が出た。

3人はファミレスで不味いコーヒーを飲みながら考えた。
俺はその時MTVで見たスコーピオンズの「Rock You Like a Hurricane」のプロモビデオがカッコ良くて「ああいうのがやりたい」と言った。
スコーピオンズが檻の中で演奏しているやつで、とても危険な香りで凶暴っぽくて良かった。

しかし、当時の俺達は既に摩天楼アンプ群を使っていて並のツインリードバンドより機材が多く、機材車に乗せられるモノで「檻」になるのは考えつかなかった。
話は「別に鉄製のホンモノの檻で無くても良いのでは?」となった。

代用できて小さくなるのは無いか?と思案していると、「ネットはどうだ?」となった。
ネットをステージと客席の間に張れば、俺達はネットの中で暴れる危険な奴らに見えないだろうか?と考えた。

しかし…ネットを作るにしても、どの程度の大きさだ?ってな所まで話が進んだとき、Kyoが「うちの近所にネットがある」と言い出した。

早速夜中に車で取りに(盗みに)行った。

それは野球の練習の為に使うネットだったと思う。

早速ライブで張ってみようという事になった。

しかし、いざライブハウスに行ってみると、ネットを固定させるために引っかける箇所が無かった。

とりあえず両端をガムテープで固定して、演奏が始まった。

最初は高い位置にあって、スコーピオンズとはほど遠いが、何となく許せる位置にネットは掛かっていた。
しかし、曲が進むにつれ、次第にネットはダラ〜ンと下がりだし…テニスコートのネットみたいな和んだ位置まで下がってきた。
俺はギターを弾きながら「メッチャ牧歌的やんけ!」と頭に来ていた。

ネットは更に下がり…目が極端に悪いKyoがライブの最中は眼鏡を外している為にネットを足に引っかけて…外れてしまった。

「なんだ?これは!」と怒りがこみ上げてきたけど、仕方がない…俺達の「過激なライブ」は意味不明に虚しく終了した。

 Marge Litch

テニスコートの位置まで下がったネット ドラムの後ろに見えるMLのロゴがまっさらで綺麗だ!

その忌々しいネットは2度と使うことはなかったが、暫くは機材車の後部座席に乗っていた。

それを見る度にため息が出たのを覚えている。

ま、こういうのをやるなら、深く考えてからやることを勧めるのだ。