SSブログ

マージュリッチの「ファンタージェン」にまつわる不思議な話2 [バンド関係]

(前回からの続き)
時代は遡り、初版ファンタージェン制作時の初期MLの時の話。
そもそもファンタージェンという作品は、一枚のCDで一つの物語というコンセプトアルバムを想定して作った訳ではなかった。
まず、「ファンタージェン」という曲があり、「聖戦」が完成した頃に、CDを作ろうという話になった。

最初は2曲入りのシングルCDサイズで作ろうという話だったが、ドンドン盛り上がって「ファンタージェン」をメインにしたコンセプトアルバムにしようということになった。

ここからが長い受難の始まりだった。

ストーリーの概要が出来て、次々と曲を書いていった…シーケンサーを持っていない次期だったから、メンバーに曲の全体像を伝えるコミュニケーションが大変だった。

曲が完成してレコーディングとなった時点で、ベースのKyoが辞めた。
仕方なく、俺がベースを弾くことになった。

国産の極太ネックが反り返った安物のプレシジョンベースを借りて弾いた。
全然弾けないから、練習する所から始めた。
全体にシンフォニックなイメージを強調したかったのでキーボード・パートを充実させようと考えた。
最初はギターシンセで弾いてみたが、ギターコードの和声が、キーボードっぽく聞こえず、持っていたただ一つの鍵盤「コルグ・ポリ800」で弾いた。
あのアルバムのシンセサウンドは全てポリ800の音で、なるべく色んな音になるように細かくエディットしている。
ギター、コーラス、ベース、キーボードの演奏に加え、トラックダウンも自宅で行った。
当時の機材は全てアナログだから、狭い部屋が機材で溢れかえった…TDの時は食事も立って喰っていた。

ドップリとレコーディングに没頭している俺と別プロジェクトで、メンバーがCDに関する他の用件で奔走していた…アルバムジャケットの手配、写真撮影の仕切、印刷物など始めてのCD制作をメンバー全員で取り組んだ。

印刷物に関する事で、メンバーの写真を撮ろうとプロカメラマンに依頼して、ある新築マンションのロビーで撮影した。

撮影後、俺は即自宅に戻り録音関係に没頭していると…電話が入った。
撮影した写真が一枚も使えないという事だった。
現像した写真は、メンバーの顔が歪んでいる心霊写真になっていた。
その後ヒットした映画「リング」の写真の様だった…俺はその写真を見た記憶が無い。

もしかしたら、見たのかも知れないが、録音に忙殺されていたので、記憶が飛んでいる。
何せ当時はインターネットも無い時代だから、モノが写真となれば実際に会って見なければいけなかった。

しかたなく、別のプロカメラマンさんに池袋にロケを組んで撮影した。

受難はそれだけでは終わらなかった。
工場に制作費と音源マスターを出したはずなのに、いつまで経っても出来てこなかった。

当時のマネージャーに聞くと、ただ今メジャーの大御所さんがCDを制作しているので工場が混んでいて遅れているとの事だった…そして何ヶ月も過ぎて、業を煮やしマネージャーを通さずに工場に直接連絡すると金が振り込まれていないので製造出来ないとの返事が返ってきた。

マネージャーが、工場でCDを作る制作費を使い込んでしまっていた。
俺達が気づいたと知れば逃げられる可能性があるので、知らないフリをして呼び出し、捕まえて金を戻させたりと大騒ぎだった。
悪徳マネージャーのせいで、商品の到着が何ヶ月も待たされた。

恐らく工場から送られてきたCDを見たときは、それなりに感激したんだろうね…でも、今となっては、「初版ファンタージェン」は、制作の出だしからケチが付き、次々と厄介が降りかかる散々な記憶しか残っていない。

それから時は流れ…アルバム「悲劇の泉」完成後、プロデューサーから次のアルバムは何にするか?と聞かれた。
俺は、2つの選択肢があると提案した。
1つは、散々な記憶しかないファンタージェンの再録音か、全くの新曲を集めた新作という案だった。
結果「ファンタージェン」を再録するには、今しかないと判断して、録音が決定した。

その時は、既に「オールージュ」や「MP4/7」などを完成させていて、もっとジャズロック色のエキセントリックな方向や、「傷の記憶」などの綱渡り的曲芸方向に興味があったので、シンフォニックなファンタージェンを先送りにすれば、もう再録音する機会は無いと考えた。
これはデモを作らずにいきなり録音を開始し、音楽的な「音当たり」の手直しと、「魔女との取り引き」という曲を少しアレンジする事位で本番録音を開始した。

録音は、「悲劇の泉」で新加入だったまんぞを君と手探りで始めた事の経験で、あれこれ手順が確立されていたので、膨大なトラックの割に、実際の録音に要した時間は短かった…俺のギターがソロも入れて丸4日で、他の楽器も2日とかで入っていた。

しかし、制作サイドの都合で、その後延々2年間待たされてトラックダウンが始まった。
詳しくは書かないが、その他にも機材盗難とか論外な出来事のオンパレードだった。
並のバンドなら間違いなく解散していて、作品はお蔵入りだったと思う。

漸くTDが始まったとき…俺はもう既に録音した大半の事を忘れていたし、その間に曲のアレンジも変わっていた。
TDが始まってマスター・テープから流れた音の全てが色あせた過去の記録であり、「とにかく何でも良いから一刻も早く終わらせたい」の一念だった。

過去を「たら・れば」で振り返っても意味がないが、あの時、理不尽に2年も待たされなければ…少なくとも3枚のフルアルバムと、1枚のライブアルバムは作っていただろう。

俺にとって「ファンタージェン」とは、今思い返してもウンザリする記憶しか無く、当時の嫌な思い出がトラウマとなって焼き付いている。
ま、それと作品の「中身」とは別物だという事は、俺も判っているが、制作者にとって作品とは曲を聴けばその時の記憶が蘇るタイムカプセルみたいなモノなので、俺はこのアルバムは殆ど聴いたことがないし、作品を手元に持っていない。

しかし、俺の個人的な記憶と作品の評価は別で、「手は一切抜いていない」し、音も今となっては古くさいが、当時はやれることはすべてやったという自負はある。

この作品には奇怪な事がつきまとったが、言えるのは「絶対にやるんだ」という信念で作った作品は、結果がどうであれ後悔しないという事だろうか。

とにかく、俺にとって「ファンタージェン」は「上手く行かない」と同義語なのだ。