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カラオケ [バンド関係]

忘年会の案内が出たりで、いよいよ年末って雰囲気になってきた[カラオケ]

ここ最近忘年会が楽になった。

原因は2次会のカラオケが、何処も行かなくなったから。
マジで酔って大声で歌うと疲れる。
しかし、バブル期の忘年なんてカラオケがメインだった。
先に数人抜けて近くのカラオケ屋の空きを探しに行くんだけど、飛び込みではまず待たされた…待ってでも歌わなきゃ納まら無かった。

俺は基本マイクを持つと離さないタイプ。
カラオケは大昔の8トラの時代から歌っている。
旬の流行歌やロック系は歌わない。
主に歌謡曲か演歌だ。
俺は「カラオケは演歌」と決めている…実際カラオケでは演歌が一番歌っていて楽しい。
込み入った曲だとリズムを意識しなきゃ厳しいし、リズムが聞き取れるモニター環境やマイクのエコーの調整もそれなりにやらなきゃ歌って楽しくない。
その点、演歌は適当な環境でもそれなりに歌えるので気楽だ。

レーザーディスクの出始めの時はスナックに入り浸って歌いまくっていた。
やがてカラオケボックスが出来た。
スナックと比べて安く済むので、よく行った…ってか、行きまくった。
当時のMLのマネージャーの八木と、2人っきりで4時間ぶっ続けで歌いまくった事もあった…酒持込みで、倒れるまで歌った!
何故あれだけ歌ったのか?…今となっては訳が判らない。

カラオケだけは一生分余裕で歌ったって気がする…ってか、もう飽きた。

カラオケと言えば、MLのベースだったKyoが最強だった。
初期MLは真面目だった…というより貧乏だった。
リハも滅茶苦茶多くやっていたし、ライブの本数も半端じゃ無かったから、トリオ時代なんてほぼ毎日メンバーと顔を合わせていた。
その頃はマジで金が無くて呑み会が開けなかった…ライブ後も皆で牛丼喰って帰っていた。
だから偶に「ML主催の呑み会」を開催すると、信じられない程の人数が集まった。
俺達が呑み会を行った店は、その後例外なく何処も出入り禁止になった…当時渋谷の居酒屋なんて全てダメだった。

金がないので参加者には好きなモノを頼んじゃダメという掟があり、お新香と酒だけという時もあった。
飲みっぷりも学生もビックリなモードで、「イッキ」とかコールが無くても、全員が普通にイッキのみだった。
乾杯の後は核爆発の様な凄まじさで、30分程度経過するとトイレで倒れる奴が続出した…その様な地獄で真っ先にぶっ倒れるのがKyoだった。
大抵の場合、Kyoがいなくなると女子トイレで倒れていた。
俺も当時は呑み会となれば飛ばしに飛ばしたから、気が付くと見知らぬ部屋で目が覚める…頭は割れそうだし、何故か髪の毛に落ち葉がくっついてるみたいなのは普通の出来事だった。
今考えると楽しくも何とも無く、参加した人達には申し訳なかったけど、ま、そんなもんだった。

そんな俺達がライブ・ツアーに出ると誰も止められなかった…。
ある時、長野だったと思うがライブハウスの店長さん達と一緒に呑みに出かけた。
高級なクラブみたいな広い店で、小さなステージがあり、お客が出て行ってカラオケを歌っていた。
そこに俺達金髪軍団が乗り込んだ。
Kyoはマイクを持ち、十八番の「デス声」での「ジュディオング」を歌った!
Kyoの歌が始まった途端、他の客が先を争って店から出た…もう公害というか何もかも全てぶち壊しだった。
俺はおかしくて腹を抱えて笑った。
Kyoの歌が聞こえない様に耳を塞ぐんだけど、どうやってもデス声が聞こえる…サビだろうが何だろうが全部音程無しのローでダークなデス声だ。
このデス声で歌うのは当時メタラーでは珍しい事では無かったが、Kyoは選曲が絶妙だった。
他にアリスの「チャンピオン」なんかもあったな…曲が長いからいつまで経っても終わらないのが更に可笑しい。
Kyoが歌うと気が狂うんじゃないか?と思うほど床に転げて笑った…酸欠で眼球が飛び出るんじゃないかと思った。
恐らく俺がこれまでの人生で最も笑った出来事はこの長野の夜で、その記録はまだ破られていない…恐らくこの記録を破る猛者は出てこないと思う。

最近は歌うための忘年会から、本来の呑み会の忘年会に変わってきたのはとても良いことだと思う。
年末のスケジュールが入り出すと、意味もなく気ぜわしくなるのだ。